概要

 「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」(略称:手渡す会)は1993年8月8日に発足しました。この会に参集したのは、開発優先の治水事業とダム放流がもたらした昭和40年人吉大水害の被害を被った水害体験者たち、既存のダムによる川の破壊のために生活が脅かされていた漁民たち、行政の力で川辺川ダムの水を強引な手段で押し売りすることに怒りをもった農民たち、地域の豊かな自然を守りたいと願う市民たちでした。
 手渡す会は、地域での大小様々な学習会・宣伝活動・抗議集会・要請行動など多種多様な活動に取り組みました。その中にあって、農民による利水裁判、漁業権と土地に関する収用委員会、国と住民が対等に議論をする住民討論集会は特に重要な取り組みでした。利水裁判勝訴で多目的ダムの一つが消滅し、その結果を受けて収用員会において川辺川ダム白紙撤回を実現させることができたからです。
 しかし、国は直ちに河川整備基本方針の策定に取り掛かり、川辺川ダム建設を目的とした基本高水を決定しました。川辺川ダム問題は新しい段階に入ったのでした。
 この時点で、手渡す会は脱基本高水の基本理念を発表し、新しい取り組みを始めました。洪水時の川の調査、災害の調査、普段の川と流域の実態調査等を踏まえた清流球磨川・川辺川の保全を前提にした防災対策も提起しました。
 この川辺川ダム建設の中止を求める活動の流れの中で、荒瀬ダム撤去にも取り組みました。川辺川ダム建設中止の最も大きな目的は清流球磨川・川辺川を保全し、未来に手渡していくことにあるからです。
 そして2008年、徳田相良村長・田中人吉市長・蒲島熊本県知事が基本高水としてしか存在していない川辺川ダムの建設中止を表明しました。流域住民の宝でもある清流球磨川水系を守るために。
これを受け、国・県・市町村合同による「ダムによらない治水を検討する場」が始まり、現在に至っています。この間、川辺川ダムと八ッ場ダムの中止の公約を掲げて政権をとった民主党は、八ッ場ダム建設継続に切り替え、五木村を意識した特別措置法は廃案にしてしまいました。このような政府の対応が、「検討する場」に長い空白期間をもたらし、基本高水治水を意識した国交省の対応がだらだらと続く大きな要因になっています。手渡す会は、今も「検討する場」に対し、球磨川水系の保全と流域の防災対策を要望し続けています。
 このような状況の中、手渡す会が当面している課題はいくつもあります。年間を通しての川の実態調査と豪雨がもたらす災害調査の継続、川辺川ダムによらない河川整備計画を実現させる取り組み、瀬戸石ダム撤去をはじめ清流球磨川・川辺川の再生に向けての取り組み、子どもたちに語り継いでいく「森と川」学校の取り組み、脱基本高水の取り組みの重要性を展開していく取り組み等々です。

これまでのあゆみ

できごと
1943年―昭和18年 大洪水発生
1944年―昭和19年  大洪水発生
1947年―昭和22年 球磨川水系:基本高水・計画高水人吉地点4000t
球磨川の築堤・拡幅・掘削等の河川工事開始
1952年−昭和27年 水俣病患者発生
1953年―昭和28年 市房ダム(発電と農業用水)着工
大洪水発生と同時に旱魃も発生しやすくなったために農業用水のダムの目的に含めた
荒瀬ダム着工
下筌ダム(多目的ダム)建設計画
1954年―昭和29年 大洪水発生
1955年―昭和30年 荒瀬ダム竣工(西松建設)
1956年―昭和31年 人吉地点基本高水4500t・計画高水4000t
市房ダムは多目的ダムに変更
瀬戸石ダム着工
1957年―昭和32年 特定多目的ダム法
1958年―昭和33年 瀬戸石ダム竣工(西松建設)
水俣病は有機水銀に原因と熊本大学研究班が結論
1959年―昭和34年 下筌ダム「蜂の巣城」闘争(以後13年間の闘い)
室原知幸「法に叶い・理に叶い・情に叶い」
1960年―昭和35年 市房ダム竣工(西松建設)
1962年―昭和37年 レイチェル・カーソン「沈黙の春」
1963年―昭和38年 大洪水と広範囲にわたる土砂災害(死者多数)
1964年―昭和39年 河川法改定
大洪水と広範囲にわたる土砂災害(死者多数)
1965年―昭和40年  大洪水発生・人吉市大水害(死者1名)
広範囲にわたる土砂者災害(死者多数)
人吉より上流の河川工事は進んでいたものの人吉の河川工事は手づかずであった:貧困な治水対策が引き起こした大水害
1966年―昭和41年 川辺川ダム建設計画発表:五木村議会反対決議
人吉市亀が淵地区河川改修:住民闘争と和解内容
1967年―昭和42年 五木村ダム対策委員会発足
宮崎県綾町:照葉樹林文化保全運動
1968年―昭和43年 治水ダムから多目的ダムに計画変更に指定
1969年―昭和44年 利水事業・農水省の直轄地域
1971年―昭和46年 協定書と覚書:知事立会のもと、九州地方建設局と五木村長:補償基準や測量・調査等に関して
四日市公害訴訟勝利
1972年―昭和47年 協定書改ざん発覚
木曜会発足(地権者協議会の前前身)
人間環境会議  Only One Earth, Think Globally, Act Locally
下筌ダム完成
川辺川土地改良事業組合設立認可
1973年―昭和48年  五木村水没者地権者協議会(地権協)設立
1974年―昭和49年 水源地域対策特別措置法に基づく第一次整備指定ダムとなる。
1976年―昭和51年 建設大臣:川辺川ダム基本計画告示(高さ107.5m アーチ型、総事業費約350億円、工期昭和42〜56年度)
県議会:川辺川ダム基本計画に同意
人吉市議会:川辺川ダム問題調査特別委員会
五木村川辺川ダム対策同盟会を結成
条件付き賛成派に第一次損失補償基準提示
五木村地権協 川辺川ダム建設に関する基本計画取消訴訟等を提訴
1977年−昭和52年 市議会特別委員会「河川環境への多大の変化と住民生活への影響の懸念あり」と報告
1978年―昭和53年 人吉市議会「球磨川水系ダム問題対策特別委員会」に変更。ダムの見直しを求める
1980年−昭和55年 五木村地権者協議会、裁判訴訟:熊本地栽門前払い
1981年−昭和56年 五木・相良村の水没社団体3団体(水対協・同盟会・相良村対策協) 一般補償基準案に妥結・調印
1982年−昭和57年 五木村ダム建設に同意
リオ宣言 SD論争
1984年−昭和59年 地権協 控訴審取り下げ、和解
農水省・国営川辺川総合土地改良事業計画告示
人吉ほかの6団体による川辺川ダム対策協議会結成し、ダム反対の署名運動:しかし周辺町村反対(6団体:市議会特別委員会・球磨川漁協・温泉組合・舟下り・商工会・人吉市)
1985年―昭和60年 CITES:絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取り引きに関する条約(通称ワシントン条約)
1986年−昭和61年 整備計画水源特別法全村指定
1987年―昭和62年 人吉市長に福永氏当選:ダム反対が下火に
くまがわ共和国設立
国連「環境と開発に関する世界員会」報告書
[我ら、共有の未来]Our common Future 
1989年―平成01年 人吉新聞 「川辺川ダム計画の再検討を望む−凍結・中止の要なきやー」池井良暢
(1989年10月24日〜26日連載)
1992年−平成04年 清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会発足(会長 野田知佑 事務局長 池井良暢)
1993年―平成05年 8月8日、前年に発足した「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会」を発展継承し、
青井阿蘇神社にて「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」発足
(会長 池井良暢 事務局長 重松隆敏)
会則の目的には「本会は悠久のながれの中で郷土を育み、私たちの先祖が親しみ愛してきた清流球磨川・川辺川を自然のままの美しい姿で子孫に手渡すために、(1)川辺川ダム建設を凍結すること(2)第三者機関による環境アセツメントを実施すること(3)川辺川ダムの必要性の再検討やダム新設に頼らない治水方法の検討を含む計画の抜本的な見直しを行う」とある 会報「かわうそ」発行開始
9月23日「流域郡市民大会」開催(基調講演は熊大原田正純助教授、実践講座は魚類学者の二松学舎君塚芳輝講師、記念講演は島根大学保母武彦教授、フリートークは前手渡す会野田知佑会長、700名の参加)
環境基本法
1994年−平成06年 国営土地改良事業変更計画告示
対象農家1144人による異議申し立て
1995年―平成07年 河川審議会:多様性の保全と共生を答申
「川辺川ダム事業審議委員会」(ダム審)開始
1996年―平成08年 河川審議会:治水施設の限界を答申
ダム審が川辺川ダムの事業継続を答申
農水省が国営土地改良事業変更計画異議申し立てを却下

川辺川利水訴訟 熊本地裁提訴
五木村、相良村が川辺川ダム本体工事着工に同意
1997年―平成09年 河川法改定
1999年―平成11年 球磨川漁協総代会:ダム絶対反対確認
球磨川水害体験者の会結成  会長 堀尾芳人  事務局長 重松隆敏
球磨川中流域水害体験者結成
2000年―平成12年 福岡高裁川辺川利水裁判開始
建設大臣・川辺川ダムを事業認定
2001年−平成13年 川辺川ダムに関する住民討論集会開始 
2002年―平成14年 収用委員会開始
2003年−平成15年 福岡高裁結審:農民勝訴
事業認定のダム建設目的から利水が欠落
2005年―平成17年 収用委員会結審:川辺川ダム建設は白紙撤回
2006年―平成18年 相良村矢上村長ダム建設反対を表明
2007年―平成19年 国 球磨川水系に係る河川整備基本方針の策定
基本高水人吉地点7000t決定
2008年―平成20年 相良徳田村長・人吉田中市長・熊本県蒲島知事  共に「ダムなしの治水」「白紙撤回」を表明
国交省は穴あきダムをほのめかすが蒲島知事はこの穴あきダムも否定した。
2009年―平成21年 1月 国交省「ダムによらない治水を検討する場」開始
9月 前原国土交通大臣「川辺川ダム中止」表明
県 ダム計画有無を前提としない「五木村振興計画」発表
2010年―平成22年 国・県・五木村による「五木村の今後の生活再建を協議する場」の設置
2011年―平成23年 県・村 五木村振興に係る基盤整備計画を発表

 

スタッフ

清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 役員体制(2010年〜2012年)

◆名誉顧問  重松 隆敏(人吉市)/大山 次郎(人吉市)/山下 春男(人吉市)
◆共同代表  緒方 俊一郎(相良村)/岐部 明廣(人吉市)
◆事務局長  木本 雅己(人吉市)
◆事務局次長 市花 保(球磨村):学習会担当/田副 雄一(相良村):情報担当/緒方 紀郎(熊本市):会報編集担当
◆会計    川邊 敬子(人吉市)
◆監事    黒田 弘行(人吉市)/帯金 征一郎(相良村)
◆顧問    坂本 福治(人吉市)/鶴上 寛治(人吉市)/堀尾 芳人(人吉市)/大島 津喜(球磨村)/恒松 哲郎(上村)/吉村 勝徳(人吉市)/茂吉 隆典(相良村)/久保田 悦子(多良木町)/松本 佳久(山江村)/高橋 一雄(湯前町)/本村 令斗(人吉市)/立山 勝徳(人吉市)

規約

清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 会則

第1条(名称)
本会は「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」と称す。

第2条(所在地)
本会は事務所を、人吉市九日町36−3F くま川ハウス内に置く。
本会は会計事務所を、人吉市瓦屋町1655−3 川邊敬子宅内に置く。

第3条(目的)
本会は、悠久の流れの中で郷土を育み、私たちの先祖が親しみ愛してきた清流球磨川・川辺川を、自然のままの美しい姿で子孫に手渡す事を目的とする。

第4条(事業)
本会は目的達成のために必要な事業を行う。

第5条(会員)
本会の会員は、本会の目的に賛同し、会費を納めるものとする。

第6条(役員および任期)
本会に次の役員を置く。
共同代表2名 名誉顧問3名 顧問10名程度(会員で議員の方は顧問
事務局長1名 事務局次長3名 会計1名 監事2名とする。
役員の任期は2年間とする。但し再任はこれを妨げない。

第7条(役員の選任
役員は会員の互選で選び、総会の承認を受ける。

第8条(総会)
総会は年1回とし、必要に応じて共同代表の判断で臨時に招集できる。

第9条(会計)
本会の経費は年会費(一口1000円)と寄付金を以てこれに充てる。

第10条(会則の変更)
会則の変更は役員会で決定し、総会の承認を受ける。

第11条(執行規定)
本会の執行に必要な事項は、役員会でこれを定める。

「付則」 本会則は1993年8月9日より実施する。
1995年7月23日一部改訂
1999年11月27日一部改訂
2002年2月25日一部改定
2009年12月5日一部改定

毎週月曜定例会のご案内

手渡す会では、原則として毎週月曜日の夜7時30分より、事務所「くま川ハウス」にて定例会を行っています。
どなたでも参加いただけますので、ぜひお気軽にお越し下さい。

入会のご案内

【入会方法】

どなたでも参加いただけます。 
手渡す会事務局までお名前ご住所連絡先をお知らせください。
年1〜2回発行の会報を送らせていただきます。

【年会費】

お一人様(一家族)1000円です

【送金方法】

ご氏名、ご住所明記の上、『郵便振替 01970-1-27826』宛に、年会費(一口1,000円)をお振り込みください。

お問い合わせ

くま川ハウス (手渡す会事務所)
住所 〒868−0037 人吉市南泉田町25
電話 0966−24−9929
FAX 0966−24−9929
e-Mail kumagawahouse@gmail.com