蒲島郁夫知事は7月20日、県営五木ダム建設中止の方針を明らかにしました。
熊本県は中止の理由を「2004年から4年連続で発生した大雨による増水によってダム建設予定地下流の河床が下がり、洪水が起こる可能性は極めて低くなっているため」と説明しています。蒲島知事は白紙撤回表明した川辺川ダム同様、球磨川水系のダムによらない治水を追求する意向です。
五木ダムは、旧川辺川ダム建設予定地の上流約20kmに計画された、高さ61mの巨大な穴あきダムでした。川辺川ダムにたまる堆砂を軽減させるために、ダムの高さ61mのうち40mが土砂で埋まってしまうという計画でした。
建設予定地の五木村上荒地は地質が非常に悪く、ダムをつくれば非常に危険であること。ダムは水質日本一の川辺川の清流を破壊すること。穴あきダムにたまった土砂が流れ出し、長期にわたり川を濁すこと。ダムによる治水には限界があることなどを理由に、私たち「手渡す会」は一貫して五木ダムに反対してきました。蒲島知事の英断を、私たちは高く評価します。
蒲島知事は7月26日、県公共工事再評価監視委員会に対し、県営五木ダムの建設中止を諮問しました。年内の答申を受けて、蒲島知事が最終判断することになります。
10.12. 5 集会「五木ダムもいらん~清流・川辺川を未来に手渡そう~」を開催(相良村体育館100名参加)
12.14 「五木ダム建設中止を求める要望書」を熊本県あてに提出。
11. 2.17 「五木ダム建設計画に関してのお願い」を熊本県あてに提出。
3.20 五木ダム現地調査(参加者30名)
3.30 「五木ダム・路木ダム・立野ダム予算を東日本大震災の復興に回すことを求める要望書」を熊本県あてに提出。
4.24 人吉市長に川辺川ダム反対の田中信孝氏再選
7.20 蒲島知事、県営五木ダムの建設中止を正式表明。
7.28 国土交通省の調査で川辺川が5年連続で水質日本一。
8. 1 球磨川漁協が瀬戸石ダムの水利権更新に反対決議。
8. 8 「五木ダム建設中止の方針表明に関してのお礼とお願い」を熊本県あてに提出。
古代の文明のひとつであるメソポタミア(現在のシリア、イラク近辺)文明の遺跡からは多くの粘土書板が出土していますが、その中に「ギルガメシュ叙事詩」という神話と伝承が混在したような物語があります。ギルガメッシュとは半神、半人の英雄で、その英雄の物語が楔形文字で粘土板に書かれているそうです。
その中に森を大規模に伐採した話と、大洪水に見舞われた話があります。二つの話は独立していますので、森を切ったら洪水が起きるという因果関係を明らかにするような記述ではありませんが、わざわざ後世にまで残すような出来事であったのでしょう。太古の人々は森と水の関係を正しく認識していたのでしょうか。多くの文明が、その源流に森を喪失したことにより崩壊しているように思えます。
私たちの母なる清流球磨川にもまだまだ多くの難問が山積しています。放置人工林や大規模伐採、無意味な多くの砂防ダムや林道造成など、河川環境の悪化や水害の助長となるこれらに対処していかなくては、滅び去った文明と同じ運命をたどることになるやもしれません。
私たち「手渡す会」は1993年の創設以来、18年間にわたり清流を未来に手渡すための活動を継続し、川辺川ダム中止、荒瀬ダム撤去、五木ダム中止を勝ち取りました。瀬戸石ダム水利権更新は2014年です。
私たちが望む、豊かな清流を守り未来に手渡すために、これからも皆様ひとりひとりのご協力をお願いいたします。(事務局長 木本雅己)
4月24日に投開票された人吉市長選挙で、「手渡す会」も推薦した田中信孝さんが再選されました。
田中市長は、川辺川ダム反対の圧倒的な市民の声を真摯に受け止め、2008年9月に川辺川ダム反対を表明。その後の蒲島知事の川辺川ダム反対表明に大きな影響を与えました。
田中市長は、選挙期間中の演説の場等においても、「清流を未来に手渡す」ことに関して、私たちと全く同じことを述べておられました。
これまで川辺川ダム建設促進の旗頭的な立場を続けてきた、前市議会議長の大王英二氏に5000票以上の大差をつけての当選でした。今後も清流を守るためにがんばってほしいと思います。
川辺川ダム建設促進協議会(会長・柳詰恒雄球磨村長)の定期総会が、7月8日に人吉市で開かれ、ダムをめぐる状況変化を受けて昨年度に引き続き「ダム建設」から「ダム関連」に文言を変え、国などへ事業予算確保や特別措置法整備、球磨川流域の抜本的治水対策を求めていくことを確認しました。
同会は、球磨川流域12市町村長で構成。そのうち、ダム反対の立場から2年前に脱会表明し、負担金も未納の徳田正臣相良村長はことしも欠席しました。また、ダム建設の最大の「受益地」とされていた八代市長も、人吉市長も、川辺川ダム反対の立場で、川辺川ダム建設促進の立場の首長は表面上はいなくなりました。
10数年前、福永浩介人吉市長(当時の会長)を筆頭に、全ての流域の首長が強力に川辺川ダム建設促進を唱えていたころのことを考えれば、隔世の感があります。
川辺川ダム建設促進協議会(会長・柳詰恒雄球磨村長)の定期総会が、7月8日に人吉市で開かれ、ダムをめぐる状況変化を受けて昨年度に引き続き「ダム建設」から「ダム関連」に文言を変え、国などへ事業予算確保や特別措置法整備、球磨川流域の抜本的治水対策を求めていくことを確認しました。
同会は、球磨川流域12市町村長で構成。そのうち、ダム反対の立場から2年前に脱会表明し、負担金も未納の徳田正臣相良村長はことしも欠席しました。また、ダム建設の最大の「受益地」とされていた八代市長も、人吉市長も、川辺川ダム反対の立場で、川辺川ダム建設促進の立場の首長は表面上はいなくなりました。
10数年前、福永浩介人吉市長(当時の会長)を筆頭に、全ての流域の首長が強力に川辺川ダム建設促進を唱えていたころのことを考えれば、隔世の感があります。
球磨川漁協は8月1日、人吉市で臨時総代会を開き、電源開発(株)の瀬戸石ダムについて、2014(平成26)年3月末で期限切れとなる水利権更新に同意しないとする議決を、賛成多数(賛成86人、反対2人)で可決しました。
瀬戸石ダムは、熊本県が撤去を決めた荒瀬ダムの約10km上流にある、高さ26mの発電専用ダムです。1958年から運転を開始しましたが、同ダムにより半世紀以上アユは自然遡上ができず、球磨川の漁業に大きな損失を与えてきました。
また瀬戸石ダムは、ダム湖周辺の洪水水位を押し上げ、ダムの底には土砂やヘドロがたまり、水質汚濁など環境にも悪影響を及ぼしてきました。
瀬戸石ダムがなければ、洪水にたびたび襲われるダム湖周辺の地域は、洪水の水位がぐっと下がります。九州山地に降ったきれいな水と森林の栄養がそのまま八代海まで流れ、川も海も再生できます。
漁民とともに、私たち住民も今こそ瀬戸石ダム撤去の声を上げる時です。水利権更新の2014年、3年後がダム撤去の最大のチャンスです。荒瀬ダムに続き、瀬戸石ダムも撤去し、美しい昔の球磨川を取り戻しましょう!
今回の大震災で、想定値をもとにした災害対策の危うさをまざまざと感じました。被災した三陸海岸の多くの地域は、世界的にもまれな高さと厚さを誇る防潮堤で守られていました。しかし、大津波はその防潮堤をはるかに乗り越え、多くの自治体が壊滅的な被害を受けてしまったのです。わが熊本県は、路木ダム、立野ダムなど治水を目的としたダム建設計画をいまだにおし進めています。ダムに頼る治水は、想定以上の洪水には対処できません。想定以上の災害にも対処できるようなダムなし治水対策に改めるべきです。また、大震災の災害復旧には膨大な予算が必要となります。ムダなダム建設をはじめ、現在日本中に存在する不要不急の公共事業を全て凍結して、大震災の復興資金に投入すべきです。そうすれば、被災した方々も、多くの国民から支援されているという気持ちになられるに違いありません。(N.O.)