熊本県人吉・球磨の市民グループ:通称「手渡す会」

私たちが取り組んだ球磨川豪雨災害調査

現在「ブックレット「球磨川流域における温暖化に伴う豪雨災害に関する調査報告~「7.4球磨川豪雨災害」を問う~」2冊をHPに随時変換中です。ブックレットはPDFでも公開しています。

もくじ
第一章 豪雨災害に深く関わる球磨川流域の特性
  1. 球磨川流域の地形と川 ― 川は地形をつくり、地形の中を流れている
  2. 球磨川流域における梅雨と台風の雨の降り方
  3. 温暖化に伴う豪雨の特徴は「猛烈な局所集中豪雨」

第二章 球磨川流域豪雨の特徴
  4. 球磨川流域豪雨災害の特徴 <梅雨編>
  5. 球磨川流域豪雨災害の特徴 <台風編>

第三章 人吉市街地における2020年球磨川豪雨災害
  6. 人吉市街地に大洪水を流し込んだ合流点の大氾濫
  7. なぜ山田川は市街地で大氾濫を引き起こしたのか
  8. なぜ市街地で多数の死者が出たのか ― 御溝が災害を激甚化

第四章 中流域における2020年球磨川豪雨災害
  9.中流域における2020年球磨川豪雨災害
  10.あらゆる治水対策がゼロ対策に ― 球磨村渡地区の例

第五章 球磨川水系を破壊し災害を激甚化させる深刻な問題
  11.山地の中を流れる球磨川水系にとって一番大切な環境は
  12.巨大流水型川辺川ダム問題
  13.温暖化による猛烈な集中豪雨と緊急放流問題

第六章 球磨川流域豪雨災害を蚊帳の外においた治水事業の問題
  14.温暖化に伴う豪雨災害に対応できなくなった河川法
    ― 基本高水治水(=河川法)が災害を作りだしている
  15.安心安全を掲げる治水が住民の暮らしを奪う0
  16.人吉市街地における避難行動

付録1 球磨盆地の集水域と人吉盆地の集水域で何が起きたか
付録2 合流点近くの球磨川(一武)と川辺川(柳瀬)の比較

第一章 豪雨災害に深く関わる球磨川流域の特性  

1.球磨川流域の地形と川 ― 川は地形をつくり、地形の中を流れている  

 球磨川流域の豪雨災害の特徴を把握する上で、球磨川はどんな地形の中を流れているかということが非常に重要になってきます。

 球磨川流域の地形の大きな特徴として目につくのは盆地です。球磨盆地と人吉盆地です。球磨盆地には活断層があり、その麓には球磨川に流れ込む各支流単位の扇状地が形成されています。この球磨盆地を流れる球磨川に川辺川も合流します。

この合流点の下流は山地に挟まれて、狭い所を流れます。そのために、球磨川はこの合流点で大きな氾濫を起こしながら人吉盆地へと流れていきます。

人吉盆地を流れる球磨川は日本三大急流と呼ばれている中流域へと流れ込んでいきます、中流域は険しい山地の中を流れます。川幅も狭くなります。

 しかし、球磨川にダムや連続堤防が持ち込まれる以前の中流域に存在していた集落は現在よりかなり低い位置にありました。中流域は二つの盆地で氾濫を起こすのに加えて、流速で沢山の洪水が流れるようになっているので低い位置でも楽々暮らせたのです。

中流域は山の中 日本三大急流の一つ
球磨盆地の氾濫原は球磨川のもの。
人吉盆地の氾濫原は万江川や山田川のもの

 山地から抜け出す中流域の終わりの地点にも活断層が存在しており、球磨川が山地と海の間に扇状地をつくりました。八代平野と呼ばれる地形ですがここで川幅は一気にひろくなります。ただ、現在の八代平野の多くは干拓でつくられたものです。

 川の働きとして浸食・運搬・堆積があることは学校で教えていますが、氾濫も 川の大切な働きです。この四つの働きで川が私たちの暮らしを支えている地形をつくりだしてくれているのです。川の流域には氾濫原と呼ばれている地形があります。ここは川が洪水を氾濫させる大切なところであり、川の領域であることを忘れてはなりません。この氾濫原が豊かな米どころであったのは洪水が山から肥沃な土壌を運び込んでくれたからであることも忘れてはなりません。氾濫は人間にも多くの恵みをもたらしてくれるものなのです。

 最初、人々は氾濫原を水田として利用してきましたが、この氾濫原に都市を形成するようになりました。洪水は恵みから危険なものに変えられてしまいました。堤防を築き洪水を川に閉じ込める治水の始まりです。都市がどんどん大きくなっていく中で水害と治水のイタチごっこが始まりました。

 コンクリートが登場し、巨大建造物が可能になってくると洪水をダムに貯め込んで後で生活用水や農業用水や発電に利用するという多目的ダムが登場してきました。ダムと連続堤防で洪水を川に閉じ込める治水が始まりました。

 この多目的ダムは洪水を防御することが出来る最高の治水技術と評価され、世界中の川に競って巨大ダムが建設されました。ところが、ダムと連続堤防で洪水を川に閉じ込める治水によって川が破壊され、生き物が消え、水害が拡大していくという深刻な問題が持ち上がってきました。

 先進国ではダムや連続堤防を撤去し、自然の流れが保全された川を取り戻す住民運動が盛んになり、大きな成果を上げてきています。

 ところが、日本においてはいまなお、ダムと連続堤防で川に洪水を閉じ込める治水が河川法の下に実施され続けています。治水・利水に加え環境も取り上げたことを根拠にして、ダムと連続堤防で洪水を川に閉じ込める治水を存続させています。

 日本のダム建設は、村落の収用から始まります。そのため日本のダム反対運動は土地の没収に対する反対運動が主流となり、ダムか堤防かの議論にすり替わり、治水のあり方を根本から問い直す議論は遠のいてしまいました。唯一、手渡す会だけがこの問題を議論する場になっています。

2.球磨川流域における梅雨と台風の雨の降り方

 球磨川流域における豪雨災害は梅雨と台風ですが、雨の降り方も災害の発生の仕方もまったく異なっています。これにも球磨川流域の地形が大きく関わっています。

 雨は、寒気と暖気のぶつかり合いによって降る場合もありますが、気流が山にぶつかり上昇することにより気温が下がり、雨雲ができて雨が降る場合もあります。

 球磨川流域の梅雨の豪雨は、東シナ海から流れてくるたくさんの水蒸気を含んだ気流が山地にぶつかり、大雨を降らせます。そして、最初にぶつかる中流域の山地に流域一番の豪雨を降らせます。

これに対して、台風の渦は規模が大きく、どのコースをたどる台風も太平洋から流れ込んでくる気流が山地にぶつかり、大雨を降らせます。最初にぶつかる山地は宮崎県や大分県にあります。球磨川流域においては、球磨川や川辺川の上流域になり、梅雨の雨とは真逆のことが起きます。

【梅雨期の雨の降り方】複数の場所で同時に大量の雨が長時間降り続く(2020年7月4日の例)

【台風の雨の降り方】一部の地域で局所的に雨が降る(2022年9月18~19日の例)

3.温暖化に伴う豪雨の特徴は「猛烈な局所集中豪雨」

 2020年7月4日以前において、球磨川で一番大きな洪水が発生したのは、昭和57(1982)年でした。この時、球磨川流域にはどのような雨が降ったのでしょうか。

 国交省のデータを見ると、この時は7月23日19時頃から降り始め、25日の5時頃まで降り続いています。注目しなければならないのは、1時間に50mmを超える豪雨はほとんど降っておらず、10 mmから30mmほどの雨が降り続いていることです。そして2日間で300mmを超える豪雨になりました。このような雨の降り方は、温暖化に伴う豪雨が降るようになる以前には、一般的な雨の降り方でした。

温暖化による雨の降り方と、温暖化以前の雨の降り方の違い

【温暖化以降】2020(令和2)年7月球磨川豪雨では…
○ 9時間雨量が、神瀬で465mm、大槻で434mm
○ 1時間に50mmを超える豪雨が、5~6時間降り続く

【温暖化以前】1982(昭和57)年7月の洪水では…
○ 2日間雨量が、八代で474mm、五木で405mm、多良木で362mm、人吉で325mm
○ 1時間に50mmを超える豪雨はほとんど降らず、10~30mmの雨がだらだらと長時間降り続く

 ところが、温暖化に伴う豪雨が降るようになると、雨の降り方が大きく変わってしまいました。

 九州では、2012年と2017年に九州北部豪雨が発生しました。右の図では、赤い棒グラフでその時の雨の降り方を示しました。1時間に80mm以上の猛烈な豪雨が、2012年には阿蘇市の坊中で4時間、2017年には朝倉市の黒川北小路で5時間もの間、集中的に降っていました。

 そして2020年の球磨川豪雨では、球磨村神瀬で1時間に50mmを超える豪雨が5時間も降り続きました。その後の雨も合わせると、9時間で465mmの雨が降ったのです。

 近年の温暖化による影響で、短時間に集中的に猛烈な豪雨が降るようになりました。

 この雨の降り方にはさらなる大きな特徴があります。短時間に集中的に降る猛烈な豪雨は、この雨が降ったエリアの、開発で荒廃した山地崩壊から始まり、多量の土石と流木を伴った洪水を発生させ、局所的に激甚な災害を引き起こすようになりました。従来から国が進めてきた、「連続堤防で洪水を川に閉じ込め、ダムに洪水を貯め込んで本流の水位を下げれば災害は防げる」という治水対策が、まったく通用しない時代になりました。

 しかし、国・県はこの問題を一切無視しています。認めると、川辺川ダムによる治水効果が消えてしまうからです。

 気象関係の書物には、しばしば「ゲリラ豪雨」という言葉が使われています。局所集中豪雨がどこにいつ頃どれくらい降るかについて、現段階の気象学では予想することができません。いつどこでどのような攻撃を仕掛けてくるか予測できないのが、ゲリラです。この意味では温暖化に伴って頻繁に発生するようになった局所集中豪雨は、ゲリラ豪雨です。準備万端整えた防御体制は役に立ちません。この意味でもまさにゲリラ豪雨です。

「長時間かけて降る大雨」から、「短時間に集中的に降る大雨」に変わった。
雨の降り方が変わると、洪水の発生の仕方も災害の起き方も大きく変わった。

第二章 球磨川流域豪雨の特徴

4.球磨川流域豪雨災害の特徴 <梅雨編>
― 温暖化に伴う梅雨による豪雨災害の特徴

 梅雨前線による集中豪雨は、東シナ海から流れてくる気流が球磨川流域の山地に流れ込んでくることから始まります。東シナ海は温暖化の影響を強く受け、海水温が最も高い海域と言われています。球磨川流域だけでなく、熊本県・鹿児島県・福岡県・佐賀県・長崎県は、東シナ海から流れ込んでくる気流がもたらす豪雨地帯に属します。

 同じ豪雨地帯に属していても、球磨川特有の雨の降り方や災害の起き方には、大きな特徴があります。球磨川の流れです。特に川辺川―球磨川の流れは極端にU字型をしています。

 2020年に激甚な災害が発生したのは、主に八代市坂本町・球磨村・人吉市です。これらは、東シナ海から流れ込む気流がもたらす流域一番の豪雨山地から流れ出す支流が存在する市町村です。

 この市町村において、住民が死に直面するような氾濫水に出会った時刻はほぼ同じであったという現象がみられます。局所集中豪雨災害が、同時多発的に起きる地形になっているのです。

 だから、中流域の山地より雨の降り方が少なくなる川辺川流域にどんなに大きなダムを建設しても、中流域に降る豪雨が引き起こす災害を防御することは不可能です。どんなに大きな川辺川ダムを作っても、「逃げ遅れゼロ」対策でしか命は守れないのです。

球磨川流域豪雨災害の特徴

梅雨前線においては中流域の山地が流域一番の豪雨地帯であり、ここに猛烈な局所集中豪雨が降り、この雨が降ったそれぞれの支流の流域に激甚な災害が発生するという特徴がある

危険な洪水や氾濫が発生した時刻

球磨川流域の特殊な地形の下、ほぼすべての支流でほぼ同時に大洪水が発生したのを受け、球磨川本流も全域ほぼ同時に一気に水位を上げた。

特に中流域では命が脅かされる激しい大洪水が発生した

5.球磨川流域豪雨災害の特徴 <台風編>
  ― 2022年台風14号で見る台風による災害の特徴

 球磨川最上流部にある、県営の市房ダムは安全なのでしょうか。

 市房ダムが満杯になってダム崩壊の危機にいたる水位は、283.00mです。

 ダムより上流の雨の降り方によっては、ダムが満杯になるとダムは崩壊してしまうので、満杯以前にダムに貯まった水を放流する必要があります。手遅れになると、一気に放流しても間に合わないことも起きてしまいます。そこで一気に放流する目安を決めています。市房ダムの目安は280.70mです。この目安に達した時、一気の放流を行います。これを緊急放流(国の呼び方では「異常洪水時防災操作」)と言います。

 ところで、2022年9月の台風14号の際には、もっと危険なことが起きていました。ダム崩壊の危機に至る283.00mの水位にあと2cmに迫る282.98mまで、水位が上がってしまったのです。緊急放流よりもっと危険な事態におちいったのです。

 こんな事態にまで落ち込んでしまった言い訳を、県は「人吉の水位のピークが過ぎるのを待って放流をしました。それまで目いっぱいダムに貯め込んでいました」と説明しました。

こんな予測など神様にもできません。19日になって、気象庁にも予測できなかった球磨川源流に突然猛烈な豪雨が発生したことが要因であり、この豪雨に対応できなくなり、流域住民の命を危機にさらしたのです。いまや、ダムそのものが危険な建造物になってしまったのです。

 この市房ダムが行った緊急の大放流は、2つの災害を引き起こしました。

その1つが緊急の放流が破壊力の強い津波のような洪水を作り出し、ダム直下に激甚な被害をもたらしたことです。コンクリート建造物を壊したり、莫大な量の土石を移動させました。

 もう1つは、ダムによって貯め込まれたヘドロが濁水になり、2か月以上も流れ続け、球磨川の生態を破壊し続けました。「ダムは百害あって一利なし」という、流域の方たちが口にされる言葉の正しさが実証されました。

市房ダム(熊本県ホームページ

2022年台風14号は何をもたらしたか

あと2cmの危機に直面した緊急放流

緊急放流で一番深刻な問題

緊急放流は2か月以上に渡り、濁水を球磨川の下流まで流し続ける
莫大な土石移動 鮎ノ瀬堰崩壊(多良木町)

第三章 人吉市街地における2020年球磨川豪雨災害

6.人吉市街地に大洪水を流し込んだ合流点の大氾濫

 球磨川と川辺川の合流点は、球磨盆地から人吉盆地へ流れ込んでいく狭窄部の手前に位置しており、広大な氾濫原を形成している所です。見方を変えれば、非常にダム化しやすい所でもあるのです。

 2022年7月4日の早朝、市街地の入り口の高い所に架けられている曙橋の上から球磨川の様子を見ていました。合流点の方から広大な水田も飲み込んで流れ下ってきた猛烈な洪水は、そのまま市街地へ流れ込み、市街地も球磨川の一部になってしまいました。

 急いで、合流点に駆け付けてみると、合流点周辺は大氾濫で広大な湖と化していました。氾濫した水は猛烈な勢いで球磨川へ流れ込んでいました。合流点より上流を流れる川辺川や球磨川の洪水の様子も見に行きましたが、合流点周辺の大氾濫に比べ、予想以上に流量が少ないのに驚きました。

 後日、合流点に何が起きていたのかを知るため、現場の検証と聞き取り調査を行いました。くま川鉄道の第四橋梁に莫大な量の流木が詰まり、合流点周辺に大氾濫を引き起こしたことが判明してきました。そして大きな音と共に第四橋梁が崩壊し、流域に氾濫していた水が猛烈な勢いで球磨川へ流れ込んでいったことも判明しました。

 このような事実があるにもかかわらず、国交省はいち早く川辺川ダム建設に必要な人吉地点で7000㎥/sに「氾濫戻し」を加えて7600㎥/sの洪水が流れたとしました。

 さらに、これに合わせるように川辺川の柳瀬地点の洪水も川辺川ダムが必要とする3400㎥/sが流れたとしました。国交省の関心は川辺川ダム建設だけであって温暖化による豪雨災害の解明などには全く関心がないことは国交省との話し合いも含めて知ることができました。

 合流点で発生した大氾濫と第四橋梁の崩壊で大洪水が発生した事実を認めると、国・県が強引に推し進めている川辺川ダムを柱にした河川整備計画は、泡となって消えてしまいます。

 手渡す会では、国・県が熱心に進めている流域治水の理念を尊重して、合流点で起きたことの共同検証を幾度となく申し込みましたが、国も県も一切拒否し続けています。

 国・県が行ったと称している検証は、すべて、川辺川ダム建設に必要な事象づくりを行っただけにすぎません。

第四橋梁のダム化と崩壊が引き起こした大洪水

左:証言や写真、水害痕跡から推定される第四橋梁で堰き止められたことによる氾濫範囲

 駅も民家も氾濫水が球磨川へ引き上げていく時に発生した猛烈に激しい流れで壊されてしまっている。合流点の氾濫水が大洪水となって人吉市街地へ一気に流れ込んでいった現場の姿。

動画でわかりやすく解説しています
2020年7月球磨川豪雨 不都合な真実① 

7.なぜ山田川は市街地で大氾濫を引き起こしたのか

 人吉市には忘れ去られてしまった水害の歴史があります。昭和19年の水害です。

この時、球磨川には大きな洪水も発生していなかったのに、山田川と万江川で甚大な土砂災害と水害が発生しました。

 球磨川流域の雨の降り方を心得ている人には理解できる災害ですが、「川辺川ダムがあれば命は救える」と主張する人たちには理解できない話です。

 笑えない笑い話があります。2020年7月4日のことです。まじめな国交省の職員の方が球磨川の増水の様子を一生懸命に観察していました。ある時刻に後ろを振り向くと国交省の事務所に山田川からの氾濫水が押し寄せ、戻ることもできず、堤防を走って避難されたそうです。国交省の高級車も流されてしまったそうです。この方の行動こそがダムでは命は救えないことを教えてくれています。

 ダム治水の信奉者である国交省は、川辺川ダムをつくれば山田川や万江川の氾濫は防げるとまで言明しています。本流は支流の集まりです。支流は本流の付属物ではありません。

 山田川の氾濫は、山田川の流域に降った集中豪雨が主要な要因ですが、これに加えて、市街地より上流では川の拡幅も含め連続堤防を築き、洪水が溢れないように河川工事をしたことがもう一つの大きな要因です。2020年7月球磨川豪雨では、上流域に降った豪雨は、溢れることなく激しい流れで市街地に流れ込んでいきました。激しい流れであったことは、人吉市鶴田町の山田川の護岸が大きく破壊されたことで知ることができます。この激しい流れの洪水は、川幅が急に狭くなる市街地に入ると、上流部から順次に溢れ、南泉田町や紺屋町での大きな氾濫を引き起こしました。

 いま市街地を守る上で一番大切な対策は、市街地を流れる山田川の川幅を拡げることです。道路を拡張したり公園を作ったりすることではありません。川は大きなゆとりを必要としている自然です。自然に逆らうことをすれば、たちまち暴れ川になります。

 温暖化に伴い常態化した猛烈な局所集中豪雨・局所災害

 線路より上流の山田川は、昭和の中頃に連続堤防を中心にした河川整備が大々的に行われた。

この時、市街地を流れる山田川の川幅は上流側より5~6割程度になった。ここは大きく曲がった川になっているため流れに大きなゆとりをもたせる必要があるところだ。川の流れを無視した河川整備を行ったことになる。これに加えて川の流れを悪くする橋も増やした。河川整備で最も危険な山田川に変えてしまった。

 2020年7月4日、山田川流域にも猛烈な集中豪雨が降り、いままで起きたことのない大水が発生し、市街地へ流れ込んできた。

 洪水は泉田橋下流からあふれ出し、下流側にどんどん広がっていった。この氾濫は河川整備によってつくり変えられた山田川が引き起こしたものであり、バックウォーター現象で起きたものではない。

 必要なことは、山田川の川幅を拡げ、流れにゆとりを取り戻すことである。部分的な嵩上げは水害を拡大するだけである。同時に、右岸側に大きく偏って流れる球磨川の流れを、中州を挟んで左右バランスよく流れる川に戻すことである。

8.なぜ市街地で多数の死者が出たのか― 御溝が災害を激甚化

 豪雨災害の実態を解明するため、手渡す会では、多くの方の協力のもと、多数の映像の分析に取り組むことができました。

 この分析を通して、水は非常に優れた地形学者であるということが解りました。水は私たちの目では判断できないわずかな高低差も見つけ、高い方から低い方へ流れていきます。どこへ流れていけばよいかわからなくなるとその場所で渦を巻きます。渦を巻きながら、流れていく低い場所を探します。

 市街地に「御溝(おみぞ)」と呼ばれている用水路があります。相良藩の殿様がつくったので御溝と呼ばれるようになったそうで、万江川から新田開発のために水を引き込み、市内に網の目のように張り巡らされた用水路です。

 現在は、市街地に入ると暗渠も多く、乱立する建造物の中を流れているので普段の暮らしの中で意識することはありません。目にすることはあっても小さい流れでしかない用水路のため、命が奪われることになるとは想像すらできません。

 また、川が現在の姿になる以前の、旧河道と呼ばれる地形もあります。旧河道となると、その地形を意識することすら不可能です。国土地理院の治水地形分類図という地図では図解されており、それを手に現地を歩くと、それとなくわかる所もあれば、いろいろな開発が進み、現地に行っても判断が不可能なところもあります。ところが、水はこんな地形でさえも読み取って流れを作ります。

 氾濫水は、この御溝(用水路)や旧河道に集水して行き、急激な増水と激しい流れをつくりだしました。そして偶然にこのような場所にいた人が命を奪われることになりました。命を守るためのハザードマップには、このようなきめ細かい地形の解説も必要なのです。

御溝を無視した町づくりが命とり

御溝が万江川や山田川の氾濫水を受け取り、急激な流れや増水を作りだし命を奪った

印は、2020年7月4日球磨川豪雨災害での人吉市内の犠牲者が亡くなった場所を示す

川と暮らす知恵の一つに、土地の成り立ちが引き起こす水の流れを知っておくことがある

水田のために開発された御溝には大水対策も仕組まれていた。この御溝は都市にはマイナス効果。

50cm単位の高低差を落とし込んだ地図。わずかな高低差でも水は低い方へ流れる
御溝は随所にL字型やV字型の流れをつくり、集水地に一気に流れ込んでいかないように工夫
ここが都市化の中では氾濫常襲地帯に