A.2008年、蒲島県知事は、県下の世論や流域自治体の意向を受けて、「球磨川は県民の宝」として県知事として初めて川辺川ダム反対を表明しました。これを受け、翌年国は川辺川ダム計画の中止を発表しました。その後、ダムによらない川づくりが進む予定でしたが、実際には、ダムに固執する国交省や流域自治体首長のそれぞれの思惑もあり、ほとんど進まないまま。手渡す会を初めとする市民グループは、予想外の大雨の際に流域が危険な状況になるとして、ダムによらない治水策の速やかな進展を求めて申入れを続けてきましたが、国は実質的な対策を取らないまま、12年間放置されていました。
ところが、2020年7月の球磨川豪雨災害が発生すると、県知事はすぐに方針を転換し、「緑の流域治水」の柱として、流水型の川辺川ダム計画を掲げました。国はその県知事の意向を受ける形で、すぐにダム計画を柱とした河川整備計画づくりを行い、現在に至っています。
私たちは、国は球磨川の治水対策を放置し、豪雨災害に便乗する形で川辺川ダム計画を復活させたと受け止めています。
A.いいえ。仮に川辺川ダムがあったとしても、氾濫は防げませんでした。
2020年7月の球磨川豪雨災害は、気候変動の影響を色濃く受け、それ以前の豪雨とは降雨量や降雨パターンが大きく異なっています。国宝青井阿蘇神社では、楼門の一部まで浸水するほどの大きな被害でしたが、青井阿蘇神社の1200年の歴史の中で初めてのことでした。
災害後に国がまとめた球磨川水系河川整備計画は、基本高水ピーク流量を実際より低く見積もり、川辺川ダムによる治水効果を過大に示したものですが、そのような国自身による甘いシミュレーションにおいても、「ダムで人吉地区の浸水地域は6割しか軽減できない」と認めています。
ダムによる治水は、国の想定するような降雨量、降雨パターンの時に「のみ」、限定的に効果を表します。2020年の豪雨の際のように、球磨川本流の中流と支流部で「大量の雨」が「短時間に」「同時に」降る場合、川辺川上流部ではあまり雨が降らない場合など、国の想定と異なる降雨量や降雨パターンの場合は、ほとんど効果を発しません。それどころか、ダムの緊急放流により、下流が氾濫している最中でも、短時間に急激な水位上昇が引き起こされる可能性があり、逃げ遅れて命を落とす可能性が高まります。
また、支流上流部の山林は鹿食害や放置林のため荒廃し、近年になって大規模皆伐が相次いでいたことで、水とともに大量の土砂や立木が流れ出し、被害を拡大させました。これらはダム建設とは関係なく、いますぐに対策を取る必要性がありますが、球磨川流域の山林整備は、今後も推進される計画は立てられていません。
ダムがあっても豪雨災害は起きたのです。
何よりも重要なことは、もしもの場合にどうやって命を守るのか、そのために何を行うのかという点です。そのためには、豪雨災害の適切な検証は不可欠です。
A. 「流水型ダム」とは、「穴あきダム」とも呼ばれ、水を貯めておく通常の貯留型ダムと異なり、ダム本体の下部の河床部に穴を開けて普段は水を流し、大雨や洪水時のみゲートを閉めて水を貯める、洪水調節専用のダムです。
日本での歴史は浅く、近年になって新たに作られるようになったダムです。益田川ダム(島根県)、最上小国川ダム(山形県)など、すでに完成しているものは高さ50m程度のものと規模が小さく、現在建設工事中の立野ダム(熊本県)は高さ約90m、足羽川ダム(福井県)は約100mほどです。
流水型ダムの治水効果や環境影響については、まだ国ですらきちんとした検証データを持っていません。
A.いいえ。
2020年11月、蒲島県知事は「命も清流も守る唯一の選択肢」として、川辺川ダムを流水型ダム(穴あきダム)として容認に転じることを表明。県知事が「環境にやさしい」穴あきダムや、田んぼダムなどによる「緑の流域治水」を実現すると発表したことを受け、国は流水型ダムを球磨川治水対策の柱とすることを決定しました。
しかし、守れるとされる「命」と「清流」のどちらについても、疑問の声が出ています。
球磨川豪雨災害では50名もの命が失われました。その死因は溺死(疑い含む)ですが、それぞれの亡くなった状況を被災者グループと専門家が詳しく調査した結果、球磨川本流の氾濫とは無関係の死因がほとんど。支流上流部からの土砂や立木が一気に押し寄せて逃げ遅れたこと、万江川や山田川上流の氾濫が、御溝(おみぞ)・福川(ふくごう)など江戸時代からの古い農業用水跡や旧河道に一気に流れ込み逃げ遅れたことなどが原因でした。 2020年豪雨災害では、犠牲者50人中2名が、球磨川本流からの氾濫によって奪われた可能性のある方々(川辺川ダムがあったら救えたかもしれない方々)だと分かりました。
それなのになぜ、流水型ダムで命は守れる、とされるのでしょうか。
球磨川豪雨災害後に、国・県・流域自治体首長で開かれた検証委員会は、わずか2回。犠牲者調査はごく簡易なもので、不十分な検証、水害痕跡データの調査法、計算法などへ市民からさまざまな疑問が提示されながらも、当初から川辺川ダム計画復活を前提として進み、市民の厳しい目が向けられています。
流水型ダムだと環境を守ることができると裏付ける科学的根拠は、国や県から今まで一度も示されていません。「環境に配慮したダム」と国や県が説明するのは、あくまで「(常時水をたたえる)貯留型ダムと比較して」に過ぎません。
貯留型ではない流水型ダムと言っても、自然の川に巨大なコンクリート構造物を作る点では同じです。河床部にある穴から常時水を流しても、上流と下流はコンクリート構造物で河床部が底上げされ、生態系の連続性は壊されます。既存の流水型ダムの例を見ても、流水型ダムができたことで、川の生態系や自然は大きく変わってしまいます。
上流側では、水の流れが遅くなることで川底に土砂が溜まり、そこに植物が生えて湿地や草地が形成されます。それだけでなく、大雨時にはシルトと呼ばれる細かい土砂が巻き上げられ、川辺川や球磨川本流、八代海にまで続く濁りの長期化が起きます。ダムの下流部でも、自然の流れが阻害され、淵は埋まり、土砂が貯まります。例え河床に長いトンネルや魚道を作っても、遡上できる鮎や魚の数は激減します。
鮎などの魚だけでなく、上流と下流の河床の生態系や自然が変われば、水生昆虫や藻類など、自然の川に生息していた生き物たちの数や種類が大きく変わります。それによって、昆虫や藻類をエサとする魚や野鳥たちも減少し、川辺川・球磨川は現在の豊かさを永遠に失うことが強く予想されます。
A.はい。しかし、環境アセスメントを実施すれば環境影響が回避されたり軽減される保証は、一切ありません。
2020年11月に蒲島県知事が流水型の川辺川ダム復活を表明した際、環境アセスの実施を国に要望しました。これを受けて、国は「法に基づいたものと同等の環境アセス」をしぶしぶ実施することにしました。
日本には、世界の潮流から何年も遅れた1997年に環境影響評価法(環境アセスメント法)が制定され、2011年には一部法改正が行われました。しかし、特に国が実施する事業の場合は、基本的に「事業ありき」で進む点や、住民参加が限定的である点、政策レベルでのアセスメントではない点など、多くの問題点が指摘されています。
川辺川ダム計画について環境アセスを実施すべきという声は、従来からありましたが、国交省は事業計画が古いことを理由に、アセスの実施を拒否し続けてきました。今回の新たな流水型の川辺川ダムを環境アセス対象にすると、新規事業であると認めることになるため国交省は避けたい思いがありましたが、県知事の意向を無視することはできないため、やむを得ず国交省独自の「アセス法に定めたものと同等の」アセスを行うことにした経緯です。法に基づかないことによる、さまざまな問題も指摘されています。
環境アセス手続きは2022年3月から始まりました。現在、「川辺川の流水型ダムに関する環境配慮レポート」「同環境影響評価方法レポート」が公表され、意見聴取が終わっています。それぞれについて、流域住民や市民、市民グループからダムによる環境影響を懸念する多くの意見が出されましたが、国はそのほとんどの意見を無視する形で、手続きを進めています。
アセス文書の中では、ダムによって生態系や自然に重大な影響が起きると予想されることが示され、「死滅」「枯死」といった言葉も度々記されていました。
川辺川ダムのアセスには、数多くの問題点が指摘されています。
特に大きな問題点は、ダムの構造を一切明らかにせずに、アセス手続きを進めている点です。配慮レポート、方法レポートともに、コンクリートの壁であるダム堤体の断面図しか示さず、これではどのように上流下流の環境や生態系に影響を与えうるのかが、一切分からない内容になっています。
また、ダムによる影響範囲についても、国は独自の基準に基づき「集水域の概ね3倍程度」とし、アセスでは、球磨川中流部の入り口に当たる球磨村渡までしか影響調査の対象としていません。しかし実際には、川辺川ダムやその上流の濁水の影響は、中流部から下流、八代海にまで影響を与えていることが指摘されています。
現在進んでいる川辺川ダムのアセスについての問題点は、日本自然保護協会(NACS-J)のページ(配慮レポートに関する意見、方法レポートに関する意見)でも丁寧に解説されています。
A.豪雨災害被災者の多くは、「川辺川ダムがあっても、あの豪雨災害を防ぐことはできなかった」と考えています。
被災された方々の中には、ダム問題について複雑な思いを持った方もいます。中には「ダムがあれば我が家は浸水しなかったのでは」「ダムができれば浸水が1㎝でも減るのならば、ダムがあった方が良い」と考える方もいますが、その一番の理由は、国がダムによる治水効果を過大に宣伝し、正しい情報を持たない方々がそれを鵜呑みにしていることが原因です。
2020年7月豪雨を体験し危うく命を落としかけた方、家や財産などに大きな被害を被った方々の間では、「ダムがあっても防げるような降雨ではなかった」「ダムによる治水対策が中心で、氾濫の原因となった支流の対策がなおざりにされている」「ダムによる水位削減効果を理由に、嵩上げ高さなどが低く抑えられ、流域で暮らすことに大きな不安を抱えている」などの声が多く聞かれます。
嵩上げ高さについては、被災地の多くで指摘されています。球磨村神瀬地区では、380㎝の浸水に対してわずか80㎝の嵩上げを示され、被災者からの強い不満が出たものの、国や県、村はそれ以上の嵩上げをしないことになりました。八代市坂本町片岩地区では、3m近く浸水した場所でもわずか18㎝の嵩上げが提案され、嵩上げ対象地区として嵩上げを希望するかどうかの意向調査が行われました。
A.ダムが以前中止になった2008年以前に、住民移転はほとんどすべて完了しています。
ダムが中止されて以降は、ダム建設を前提としない地域振興事業が進みました。産業や地域振興のため、県は五木村振興交付金を特別に設け、それに基づいて10年以上に渡って、ソフト・ハード面での取り組みが進展しました。
五木村の水没予定地には、総合運動公園、観光宿泊施設、中間土場(材木貯留場)、椎茸生産団地などの産業観光振興施設が整備され、その後も継続的に取り組むことになっていました。しかし、今回の流水型の川辺川ダム計画復活により、これらの施設はすべて撤去対象となることが決まっています。その移転先は不明で、移転先の代替地が造成されるのかどうかも分かりません。
五木村、相良村の両村は、川辺川ダム計画のためにすでに50年以上翻弄され続けています。ダム中止により、ようやく村の将来についてダムやダム関連事業から切り離し、独自の取り組みが進展していた最中に、再びダム計画が復活し、両地域の住民の心境は「もうこれ以上振り回されたくない」「せっかく進めてきた地域振興がまた白紙に戻る」という強い不満があります。
県は、ダム水没予定地を抱える五木村や相良村を早期にダム賛成に転じさせるため、ダム建設を前提として、巨額の地域振興予算案を示し、懐柔を計ろうとしています。このやり方についても、地域内には強い不満の声があります。