川辺川ダム建設凍結へ向けて、全国組織「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会[以下手渡す会]」(会長:野田知佑)が結成されて1年、地元組織「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会[以下郡市民の会〕」(会長:池井良暢)が結成されて4ケ月が過ぎました。
私達はその間、さまざまな運動を展開し多くの賛同者を得る中で、大きな成果を残してきました。「手渡す会」の会長に野田知佑さんが就任していただいたことが、この運動を幅広いものにする意味でブラスに働いたことは言うまでもありません。野田さんの影響力により、全国各地から数多くの署名と熱い連帯のメッセージ・激励をいただき、その度毎に「よし!もうひと頑張り」というエネルギーが湧いてきました。
しかし、ダム建設計画から27年も経過する中で、「今更運動をしても遅い」 とか「移転した五木村の人達のことをどう考えているのか」といった言葉をささやく一部の人達、あるいは「お上の決めたことだからどうにもならない」という諦め感を持つ人や「建設されようとされまいと別にどっちでもいい」という無関心層の人達がまだまだ多い実態、そして「川辺川ダム建設促進協議会」に結集する地元行政の姿勢等を考えた時に、いろんな方面での活動を展開してきた私達の運動を再度、「川辺川ダム建設凍結に対する地域住民の合意形成」という点に絞り、署名活動を中心に据えてやっていく必要性があると考えます。 建設省のある役人も、ダム建設の見直しをする条件として「ダム建設に替る代替案が示されること」及び「ダム建設反対の地域住民の合意がとれること」をあげています。
この1年間建設省は、地元新聞に何回となく「川辺川ダムはふるさとを水害から守ります、豊かな流れを確保します、地域の発展を支えます、地域の歴史・文化や自然と調和を図ります」というキャッチフレーズの下、住民をあざむくまやかしの宣伝広告を掲載してきました(その広告費は、私達が払った税金を使っているのです)。また、「自然にやさしい川づくりフォーラム」とか水没予定地での「親子スケッチ大会」等、ソフトイメージで住民の啓蒙活動を展開しています。球磨川・川辺川を「魚ののぼりやすい川づくり」の指定河川にすることと引き換えに、「川辺川ダム建設促進」を今以上に行うよう地元行政の尻を叩いている建設省の姿も見られます。
金と権力を握る建設省やそれに繋がる建設業界、政治家に対して、私達には金も権力もありませんが、ふるさとを心から愛する気持ちと「住民自治」実現のために活動するエネルギーは満ちあふれています。
1993年の終わりに当たり、「手渡す会」「郡市民の会」の活動を総括し、正念場となるであろう来年度の活動の方向性について会員の皆様へ提案し、さらなる御協力をお願い申し上げます。
1992年11月14日、全国組織「手渡す会」が発足し、ただちに政府の関係各省庁へ提出する署名活動を開始。93年8月8日、「郡市民の会」発足後は、地元議会(人吉市、相良村)への陳情のための署名活動も併せて実施。
その結果、現在までに4万人近い賛同の署名をいただいています。しかし、署名の実働者が少ない実態や、また9月は「郡市民大会の準備、10~11月は「利水事業」見直しを求めるための農民対策・相良村長選挙対策に時間を割いたため、最も重要な地元での署名活動が組織的・計画的に実施できず、地元議会に陳情するにふさわしい数がまだ集まっていない状況です。
93年3月22日、「手渡す会」として「川辺川ダム建設促進協議会」会長である福永人吉市長に対し、①ダム建設計画発表から四半世紀過ぎ、必要性に疑問が生じている中でなぜダム建設の促進をするのか、②昭和51年以来実施された人吉市議会ダム問題調査・対策特別委員会による「ダム建設による商工観光、農政に及ぼす影響調査報告」をどう評価し、対応してきたのかという公開質問状を提出しました。回答はあったものの質問には答えず、ただダム建設を推進せねばならぬという姿勢のみしか見られませんでした。
同年7月12日、衆議院選挙熊本県2区立候補者全員に対し、「川辺川ダム建設計画に対する公開質問状」を郵送。回答があったのは、落選した社会党の馬場昇氏と共産党の小田憲郎氏のみでした。
同年8月、人吉市・相良村・球磨村全議員に対し、「再考川辺川ダム」及び「郡市民の会設立趣意書」を郵送。その後今日に至るまで、相良村において2~3名の議員の方が「利水事業見直し」を中心に議会で質問をしていただいたり、人吉市においては「郡市民の会」の話を聞きたいという議員の方が出てきている状況です(残念ながら球磨村では何ら動きはありませんでした)。
同年10月13日、相良村長選挙(11月7日投票)前に、高岡・宮崎両候補に対し「川辺川ダム建設計画に関する公開質問状」を提出しました。宮崎氏からは「ダム建設一時凍結に賛成」「利水事業見直しに賛成」という誠意ある回答をいただきましたが、高岡氏からは「回答すれば選挙に不利になる」ということで何ら回答がありませんでした。その後、人吉球磨一円に「公開質問状回答」チラシ入れを実施し、情宣活動をしました。村長選挙の結果は、「ダム建設一時凍結」を掲げた宮崎氏が善戦したものの、現職の高岡氏に惜しくも敗れてしまいました。しかし、この選挙をきっかけにダム建設予定地の相良村において「ダム建設見直し」を求める声が高まりつつあります。
1993年9月23日、カルチャーパレス大ホールに約700名の参加を得て、大成功裡に終えました。短い取り組みの中数多くの参加者を得、講師の方々の説得力ある話により「もっと川辺川ダムのことについて勉強したい」という人が増え、その後の運動に弾みをつけました。また、九州各県から多数の方々に集まってもらい、より広範な運動にする足掛かりともなりました。
1993年8月、梅山究氏(前相良村教育長)による人吉新聞投稿「川辺川利水を斬る」をきっかけに、前述の「郡市民大会」以後、精力的に農家対策を実施しました。今日の農業を取り巻く情勢の厳しさの中、農家に新たな負担を強いる「川辺川利水事業(人吉・相良・山江・錦・深田・須恵・多良木の7市町村の対象農家の畑にダムから水を引く国営事業)」は、参加を希望する農家が少ない中で強行されようとしており、そのためこの利水事業の問題点をまとめたチラシを対象農家全戸にほぼ配布。その後、10月17日に多良木町黒肥地において「川辺川利水事業を考える座談会」(28名参加)を、1O月26日には相良村において農民作家・山下惣一氏を講師に「水と農業を語る」講演会(120名参加)を実施し、十分情報が流されていない利水事業について問題提起し、意見交換をしました。
実際に、一軒一軒農家を訪ね、利水事業についての考え(ほとんどの農家が必要ないと答えた)を聞くことができ、自信を持って取り組みを進めました。その後の成果として、「利水事業を考える会」という農家の方の組織が結成され、独白に活動を進められることになりました。
「手渡す会」の活動を全面的にバックアッブしていただいた「ウオーターネットワークくまもと」・・・昨年12月から今年の11月まで開催された「野田知佑グローバルトーク」では、各界の著名人を講師に招き実施されましたが、「手渡す会」からも毎回参加し「川辺川ダム建設凍結」運動のアピールや署名活動を展開し、県内各地にこの運動を広げることができました。
また今年のゴールデンウィークには、神奈川県相模大堰建設反対グループとの交流を深め、初めて街頭でのアピール行動を雨天の中実施しました。楽しく運動を進めながらも、大堰建設の問題点やそれに替る代替案を学問的に立証し、提示する地道な取り組みが印象に残りました。
同年10月30~31日、宮崎県門川町で「第5回海・山・川を守る九州交流合宿」が開催され、「郡市民の会」からも5名参加しました。その結果、九州各地で環境問題に取り紹んでいるグループのネットワーク化を進めて行くために、「九州環境問題研究所」(仮称)を作り、調査の依頼や人材の派遣等を担う新しい組織の必要性が提示されました。また、第6回九州交流合宿を来春人吉市か五木村で開催できないかという打診を受けています。
同年9月11日には「水源開発問題全国連絡会」(17団体)が結成され、「手渡す会」及び「郡市民の会」共に加盟し、全国のダム建設反対運動団体との情報交換・連携を図って行くことになりました。そして11月16日、五十嵐建設大臣との直接交渉の場が設けられ、重松事務局長が出席し訴えました。また、「全国連絡会」としては①ダム建設計画の見直し、②今後の話合いの場の保証、③関連情報の公開の保証の3点について要請をしました。その結果この取り組みが効を泰し、建設大臣は「河口堰を含む大規模事業を見直すための政府機構の創設に着手する」ことを述べるまでになりました(詳しくは後述)。長良川河口堰問題を中心に、今後の動向か注目されます。
まず93年6月6日、宮崎県の一ツ瀬ダム(九州最大のアーチ式ダム)及び下流の西都市を訪れました(参加者41名)。同年11月23日、室原知幸氏「蜂の巣城」のダム反対闘争で有名になった大分県の下笙(しもうけ)ダムそして松原ダム、及び下流に位置する日田市を訪問しました(参加者41名)。
いずれも現地の人から話をうかがったが、ダム湖水の黒濁りは解消せず、赤潮が頻繁に発生しているとのことで、選択取水装置もほとんど機能していない状況であった。両地域ともダム下流は観光地となっているが、ダム建設後「清流」が「濁流」に変わり、商工観光に大きなダメージを与えています。その後、見学報告記を地元の「人吉新聞」に掲載してもらい、広く郡市民にも訴えることができました。自分達の目で確かめることの大切さを痛感しました。
1993年8月8日に「郡市民の会」が発足した当初、会員数は114名でした。現在の会員数が210名ということで、4ケ月経過した割には会員数が伸び悩んでしまいました。今後、会員拡大にも力を入れることが必要です。 学習資料「再考川辺川ダム」の普及活動については、1000冊以上カンパで買い求めていただき、まずまずの成果であったと思います。「再考川辺川ダム」一冊を読んでいただけば、問題点がすべてわかるという面からしても今後益々その普及活動に力を入れて行かなければなりません。
これら2つが主な収入源であり、この1年間さまざまな活動を展開した結果別紙「会計報告」にありますように大きな赤字を抱えてしまう状況になっています。現在、活動に賛同していただいた方からのカンパを唯一の財源として活動をしている以上、さらに財政的な援助を各方面にお願いし、早急に財政の確立を図らなければなりません。
以上あげた以外に、「人吉市議会ダム問題調査・対策特別委員会報告」を冊子にし、各方面に配布し、また私達の学習資料にもしました。この報告書によると、いかにダム建設が大きな問題を孕んでいるかが明白であり、今後行政対策の貴重な資料としてさらに活用していくことが必要です。
93年3月には、人吉市内の全町内会長宅へ前述した「報告書」並びに「人吉市長への公開質問状」を郵送し情宣に努めました。同年8月には、水没予定地の五木村全世帯に「再考川辺川ダム」と「郡市民の会設立趣意書」を郵送し、私達の考えとダム建設に伴うさまざまな問題点を訴えました。さらに、84年にNHKで放映された「山は崩れる」という、四国・早明浦ダムにおける地すべりの被害を伝えるビデオの上映会を同年10月に実施、地元の地質に詳しい原田正史氏の話も併せて聞きました。
その他、地元の「人吉新聞」を中心に川辺川ダム問題についての投稿活動を実施し、この1年間で頻繁に掲載され、世論を盛り上げるのに効果を発揮しました。
この1年間の運動の総括を踏まえて、来年度の運動の方向性について提案します。1年間で積み上げてきたものをさらに大きくするために、またこれまで十分できなかった面を補強するために、以下のような取り組みを考えています。
「手渡す会」の活動の中心を成すのは、「地域住民合意形成」のための署名活動です。しかし、年間総括でもふれたようにさまざまな課題に直面する中で、地元・人吉球磨地域での署名活動が十分できませんでした。
今年11月、建設大臣交渉を実現させそれなりの回答を引き出した余勢を駆っ
て、今度は地元行政に対して「川辺川ダムは必要ない」という地域住民の圧倒的多数の声をぶつけるときです。そのためにも、人吉球磨地区(特にその中心である人吉市)において多数の署名を集めなければなりません。
3月定例議会前に、まず人吉市議会に対して多数の署名を添えて陳情する予定です。あと2ケ月間を多くの人の協力の下、効率よく署名を集めるために具体的に以下のような活動を行います。
①人吉球磨郡市で、署名活動をしていただける人を掘り起こします!(会員各自が、署名活動に協力してくれそうな人に当たっていく)
②川辺川ダム問題を本当に理解し、署名活動を積極的に担ってくれる人を拡大するために、人吉市内の各町内単位で「ミニ集会」を開催します!
署名用紙は事務局に準備しています。皆様方の御協力を切にお願いします。署名活動と並行して、人吉市内全町開催を目標に「ミニ集会」を開催し、「川辺川ダムが出来れば、川がどのように変化し、地域経済にどんな影響をもたらすか」ということを、ビデオ上映や写真展示などを通して「視覚」的にわかるような中味を用意して訴えたいと思っています。
つきましては、人吉在住の方には「ミニ集会」開催のためにいろいろ御相談することがあるかと思います。是非、御協力をお願い致します。 来年1~2月は、この署名活動と「ミニ集会」開催に全力を注ぎたいと思っています!
川辺川ダム問題への取り組みも、かなり広範な人達の支援を受け、広がりのある運動に成長しつつあります。そこで、さらに全国的な運動の盛り上がりを作り出し、そして人吉球磨地域住民の関心をさらに高めるために、以下のような企画を考えています。
①全国のダム問題に取り組む団体のネットワーク組織である「水源開発問題全国連絡会」からの要請を受け、人吉の地で「全国ダム問題シンポジウム(仮称)」を開催する
②九州内で環境問題に取り組んでいる団体を集め、「海・山・川を守 る九州交流合宿(第6回)」を開催する
これらの集会の成功により、川辺川ダム問題を全国的に広めることも可能です。いずれもゴールデンウィーク中かその前後に開催したいと思っています。数多くの参加者を確保するためにも、署名活動と並行して準備を進めていきたいと考えています。「全国ダム問題シンポジウム(仮称)」については、実行委員会を結成し、より広範な層に呼びかけて実行委員になっていただき準備に当たって行きたいと思います。
別紙会計報告のように、現在のところ赤字財政で運営しています。今回会員になっていたたいていない方にも会報を郵送しましたが、是非入会していただきますようよろしくお願い致します。
また、既に会員になっていただいている方につきましては、毎月会報「かわうそ」をお送りします。その際、毎回郵便振替用紙を同封し、一ロ1000円のカンパ(何口でも結構、多ければ多いほど有難いですが)をお願いすることにしました(年会費1000円だけでは、正直なところ郵送費だけで使い切っ
でしまう状況です)。財政面でのバックアップもお願い致します。
学習資料「再考川辺川ダム」につきましては、もし何部かほしいということてしたら、事務局へお問い合わせいただければお送りしますので、お申し込み下さい。
①既会員の方; 同封の郵便振替用紙により、一口1000円(何口でも可)のカンパをお願い致します。
②未会員の方: 同封の郵便振替用紙により、年会費1000円をお支払いただき、会員になって下さい。別途カンパももちろん大歓迎です。
③「再考川辺川ダム」がほレい方:事務局へお問い合せ下さい。(事務局:人吉市北泉田町214-3 重松隆敏宅まで)
☆その他、建設省の大量宣伝に対抗する手股として、「手渡す会」としてもダム問題をまとめたパンフレット作成にも着手したいと考えています。また、「手渡す会」とは別に川辺川ダム問題を考える団体がいくつか誕生しています。川辺川利水事業対象農家の方による「川辺川利水を考える会」をはじめ、球磨川下流の八代市や地元人吉市において女性を中心にしたグループづくりが進められいると聞きます。運動は着実に広がっています!
政府は、長良川河口堰や臨海副都心など自民党政権から引き継いだ大規な事業について、計画規模や事業のあり方を見直す新たな機関を政府部内に設置する方向で検討に入りました。この新たな機関は、五十嵐建設大臣が今月8日の衆議院予算委員会で、長良川河口堰問題についての答弁の中で明らかにしたものです。
この中で大臣は、「建設に20年から30年もかかる大規模なプロジェクトは、その問様々な社会的変化、価値観の変化が出てくる。現在でも有効性があるのかどうか、確認する機関が必要だと思う」と述べて、大規模事業を見直す新たな機関を政府部内に設置する必要性を強調しまじた。
大臣はこの新たな機関を政府内に設ける方向で検討するよう細川首相や石田総務庁長官らに提案して了承を得たもので、このうち石田長官は「自民党政権から引き継いだ事業にづいて、現政権としてチェックする機関があるべきで、総務庁として検討に着手する」と答え、政府として新機関設置の検討に入りました。新機関創設は細川政権として行政の透明化を進めることを狙ったものですが、大規模事業を進めている官庁側が強く抵抗することは必至で、今後論議を呼ぶことになりそうです。 【93年12月15日(水)8;30~8;35 NHKニュースより】
しかし、細川連立政権が長良川河口堰やダム建設を始めとした大規模事業の見直しに踏み出すために越えるべきハードルは、何といっても金丸信の下でゼネコン型腐敗政権の中枢にいた「新生党」をどうするかということであります。その新生党と足並みを揃える公明党・・・石田総務長官(公明党委員長)、よろしく頼みますよ! 五十嵐建設大臣、建設官僚の圧力に屈せず是非とも頑張ってください!
政・財・官の癒着した腐敗構造を断ち切ることが、本当の政治改革であるはずです。長良川河口堰建設をストップさせ、20~30年前計画されたプロジェクトを中止に追い込んで行くために、さらなる世論の盛り上がりを作ろう!
早いもので1993年も終わりに近づきました。今回、1年間の総括をするに当たり資料を引っ張り出して見ていたら、「ああこの1年よくこれだけやったなあ」という感慨が込み上げてきました。◆「手渡す会」としてスタートした時がわずか9名の集まりでした。その後、いろんな人達の賛同によりここまでやってこれたと思います。◆1994年は、この活動を通してまた新たな出会いがあるはずです。「きつかー」だけでは運動は長続きしません、楽しくなければダメです。「手渡す会」・・・そして皆さんにとって、またよい1年になることを祈念します。(S.A)