「ブックレット「球磨川流域における温暖化に伴う豪雨災害に関する調査報告~「7.4球磨川豪雨災害」を問う~」2冊をHPに随時変換中です。ブックレットはPDFでも公開しています。
もくじ |
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第一章 豪雨災害に深く関わる球磨川流域の特性 1. 球磨川流域の地形と川 ― 川は地形をつくり、地形の中を流れている 2. 球磨川流域における梅雨と台風の雨の降り方 3. 温暖化に伴う豪雨の特徴は「猛烈な局所集中豪雨」 第二章 球磨川流域豪雨の特徴 4. 球磨川流域豪雨災害の特徴 <梅雨編> 5. 球磨川流域豪雨災害の特徴 <台風編> 第三章 人吉市街地における2020年球磨川豪雨災害 6. 人吉市街地に大洪水を流し込んだ合流点の大氾濫 7. なぜ山田川は市街地で大氾濫を引き起こしたのか 8. なぜ市街地で多数の死者が出たのか ― 御溝が災害を激甚化 第四章 中流域における2020年球磨川豪雨災害 9.中流域における2020年球磨川豪雨災害 10.あらゆる治水対策がゼロ対策に ― 球磨村渡地区の例 第五章 球磨川水系を破壊し災害を激甚化させる深刻な問題 11.山地の中を流れる球磨川水系にとって一番大切な環境は 12.巨大流水型川辺川ダム問題 13.温暖化による猛烈な集中豪雨と緊急放流問題 第六章 球磨川流域豪雨災害を蚊帳の外においた治水事業の問題 14.温暖化に伴う豪雨災害に対応できなくなった河川法 ― 基本高水治水(=河川法)が災害を作りだしている 15.安心安全を掲げる治水が住民の暮らしを奪う0 16.人吉市街地における避難行動 付録1 球磨盆地の集水域と人吉盆地の集水域で何が起きたか 付録2 合流点近くの球磨川(一武)と川辺川(柳瀬)の比較 |
球磨川流域豪雨災害発生の翌日から、国や県をあげて川辺川ダムの大宣伝が始まった中において、私たちは歴史的に初めて出会った温暖化に伴う豪雨災害がなぜ発生したかに関する調査に取り組むことにしました。
その際一番大切なことは、どこでいつどのようなことが起きていたかに関する情報です。多くの方の協力により貴重な情報を数多く入手することができ、豪雨災害の全貌を解明することができました。感謝申し上げます。 この本では、私たちが取り組んできた調査結果の概要を簡単に報告させていただきます。
球磨川流域の豪雨災害の特徴を把握する上で、球磨川はどんな地形の中を流れているかということが非常に重要になってきます。
球磨川流域の地形の大きな特徴として目につくのは盆地です。球磨盆地と人吉盆地です。球磨盆地には活断層があり、その麓には球磨川に流れ込む各支流単位の扇状地が形成されています。この球磨盆地を流れる球磨川に川辺川も合流します。
この合流点の下流は山地に挟まれて、狭い所を流れます。そのために、球磨川はこの合流点で大きな氾濫を起こしながら人吉盆地へと流れていきます。
人吉盆地を流れる球磨川は日本三大急流と呼ばれている中流域へと流れ込んでいきます、中流域は険しい山地の中を流れます。川幅も狭くなります。
しかし、球磨川にダムや連続堤防が持ち込まれる以前の中流域に存在していた集落は現在よりかなり低い位置にありました。中流域は二つの盆地で氾濫を起こすのに加えて、流速で沢山の洪水が流れるようになっているので低い位置でも楽々暮らせたのです。
山地から抜け出す中流域の終わりの地点にも活断層が存在しており、球磨川が山地と海の間に扇状地をつくりました。八代平野と呼ばれる地形ですがここで川幅は一気にひろくなります。ただ、現在の八代平野の多くは干拓でつくられたものです。
川の働きとして浸食・運搬・堆積があることは学校で教えていますが、氾濫も 川の大切な働きです。この四つの働きで川が私たちの暮らしを支えている地形をつくりだしてくれているのです。川の流域には氾濫原と呼ばれている地形があります。ここは川が洪水を氾濫させる大切なところであり、川の領域であることを忘れてはなりません。この氾濫原が豊かな米どころであったのは洪水が山から肥沃な土壌を運び込んでくれたからであることも忘れてはなりません。氾濫は人間にも多くの恵みをもたらしてくれるものなのです。
最初、人々は氾濫原を水田として利用してきましたが、この氾濫原に都市を形成するようになりました。洪水は恵みから危険なものに変えられてしまいました。堤防を築き洪水を川に閉じ込める治水の始まりです。都市がどんどん大きくなっていく中で水害と治水のイタチごっこが始まりました。
コンクリートが登場し、巨大建造物が可能になってくると洪水をダムに貯め込んで後で生活用水や農業用水や発電に利用するという多目的ダムが登場してきました。ダムと連続堤防で洪水を川に閉じ込める治水が始まりました。
この多目的ダムは洪水を防御することが出来る最高の治水技術と評価され、世界中の川に競って巨大ダムが建設されました。ところが、ダムと連続堤防で洪水を川に閉じ込める治水によって川が破壊され、生き物が消え、水害が拡大していくという深刻な問題が持ち上がってきました。
先進国ではダムや連続堤防を撤去し、自然の流れが保全された川を取り戻す住民運動が盛んになり、大きな成果を上げてきています。
ところが、日本においてはいまなお、ダムと連続堤防で川に洪水を閉じ込める治水が河川法の下に実施され続けています。治水・利水に加え環境も取り上げたことを根拠にして、ダムと連続堤防で洪水を川に閉じ込める治水を存続させています。
日本のダム建設は、村落の収用から始まります。そのため日本のダム反対運動は土地の没収に対する反対運動が主流となり、ダムか堤防かの議論にすり替わり、治水のあり方を根本から問い直す議論は遠のいてしまいました。唯一、手渡す会だけがこの問題を議論する場になっています。
球磨川流域における豪雨災害は梅雨と台風ですが、雨の降り方も災害の発生の仕方もまったく異なっています。これにも球磨川流域の地形が大きく関わっています。
雨は、寒気と暖気のぶつかり合いによって降る場合もありますが、気流が山にぶつかり上昇することにより気温が下がり、雨雲ができて雨が降る場合もあります。
球磨川流域の梅雨の豪雨は、東シナ海から流れてくるたくさんの水蒸気を含んだ気流が山地にぶつかり、大雨を降らせます。そして、最初にぶつかる中流域の山地に流域一番の豪雨を降らせます。
これに対して、台風の渦は規模が大きく、どのコースをたどる台風も太平洋から流れ込んでくる気流が山地にぶつかり、大雨を降らせます。最初にぶつかる山地は宮崎県や大分県にあります。球磨川流域においては、球磨川や川辺川の上流域になり、梅雨の雨とは真逆のことが起きます。
【梅雨期の雨の降り方】複数の場所で同時に大量の雨が長時間降り続く(2020年7月4日の例)
【台風の雨の降り方】一部の地域で局所的に雨が降る(2022年9月18~19日の例)
2020年7月4日以前において、球磨川で一番大きな洪水が発生したのは、昭和57(1982)年でした。この時、球磨川流域にはどのような雨が降ったのでしょうか。
国交省のデータを見ると、この時は7月23日19時頃から降り始め、25日の5時頃まで降り続いています。注目しなければならないのは、1時間に50mmを超える豪雨はほとんど降っておらず、10 mmから30mmほどの雨が降り続いていることです。そして2日間で300mmを超える豪雨になりました。このような雨の降り方は、温暖化に伴う豪雨が降るようになる以前には、一般的な雨の降り方でした。
温暖化による雨の降り方と、温暖化以前の雨の降り方の違い
【温暖化以降】2020(令和2)年7月球磨川豪雨では…
○ 9時間雨量が、神瀬で465mm、大槻で434mm
○ 1時間に50mmを超える豪雨が、5~6時間降り続く
【温暖化以前】1982(昭和57)年7月の洪水では…
○ 2日間雨量が、八代で474mm、五木で405mm、多良木で362mm、人吉で325mm
○ 1時間に50mmを超える豪雨はほとんど降らず、10~30mmの雨がだらだらと長時間降り続く
ところが、温暖化に伴う豪雨が降るようになると、雨の降り方が大きく変わってしまいました。
九州では、2012年と2017年に九州北部豪雨が発生しました。右の図では、赤い棒グラフでその時の雨の降り方を示しました。1時間に80mm以上の猛烈な豪雨が、2012年には阿蘇市の坊中で4時間、2017年には朝倉市の黒川北小路で5時間もの間、集中的に降っていました。
そして2020年の球磨川豪雨では、球磨村神瀬で1時間に50mmを超える豪雨が5時間も降り続きました。その後の雨も合わせると、9時間で465mmの雨が降ったのです。
近年の温暖化による影響で、短時間に集中的に猛烈な豪雨が降るようになりました。
この雨の降り方にはさらなる大きな特徴があります。短時間に集中的に降る猛烈な豪雨は、この雨が降ったエリアの、開発で荒廃した山地崩壊から始まり、多量の土石と流木を伴った洪水を発生させ、局所的に激甚な災害を引き起こすようになりました。従来から国が進めてきた、「連続堤防で洪水を川に閉じ込め、ダムに洪水を貯め込んで本流の水位を下げれば災害は防げる」という治水対策が、まったく通用しない時代になりました。
しかし、国・県はこの問題を一切無視しています。認めると、川辺川ダムによる治水効果が消えてしまうからです。
気象関係の書物には、しばしば「ゲリラ豪雨」という言葉が使われています。局所集中豪雨がどこにいつ頃どれくらい降るかについて、現段階の気象学では予想することができません。いつどこでどのような攻撃を仕掛けてくるか予測できないのが、ゲリラです。この意味では温暖化に伴って頻繁に発生するようになった局所集中豪雨は、ゲリラ豪雨です。準備万端整えた防御体制は役に立ちません。この意味でもまさにゲリラ豪雨です。
梅雨前線による集中豪雨は、東シナ海から流れてくる気流が球磨川流域の山地に流れ込んでくることから始まります。東シナ海は温暖化の影響を強く受け、海水温が最も高い海域と言われています。球磨川流域だけでなく、熊本県・鹿児島県・福岡県・佐賀県・長崎県は、東シナ海から流れ込んでくる気流がもたらす豪雨地帯に属します。
同じ豪雨地帯に属していても、球磨川特有の雨の降り方や災害の起き方には、大きな特徴があります。球磨川の流れです。特に川辺川―球磨川の流れは極端にU字型をしています。
2020年に激甚な災害が発生したのは、主に八代市坂本町・球磨村・人吉市です。これらは、東シナ海から流れ込む気流がもたらす流域一番の豪雨山地から流れ出す支流が存在する市町村です。
この市町村において、住民が死に直面するような氾濫水に出会った時刻はほぼ同じであったという現象がみられます。局所集中豪雨災害が、同時多発的に起きる地形になっているのです。
だから、中流域の山地より雨の降り方が少なくなる川辺川流域にどんなに大きなダムを建設しても、中流域に降る豪雨が引き起こす災害を防御することは不可能です。どんなに大きな川辺川ダムを作っても、「逃げ遅れゼロ」対策でしか命は守れないのです。
危険な洪水や氾濫が発生した時刻
球磨川流域の特殊な地形の下、ほぼすべての支流でほぼ同時に大洪水が発生したのを受け、球磨川本流も全域ほぼ同時に一気に水位を上げた。
特に中流域では命が脅かされる激しい大洪水が発生した
球磨川最上流部にある、県営の市房ダムは安全なのでしょうか。
市房ダムが満杯になってダム崩壊の危機にいたる水位は、283.00mです。
ダムより上流の雨の降り方によっては、ダムが満杯になるとダムは崩壊してしまうので、満杯以前にダムに貯まった水を放流する必要があります。手遅れになると、一気に放流しても間に合わないことも起きてしまいます。そこで一気に放流する目安を決めています。市房ダムの目安は280.70mです。この目安に達した時、一気の放流を行います。これを緊急放流(国の呼び方では「異常洪水時防災操作」)と言います。
ところで、2022年9月の台風14号の際には、もっと危険なことが起きていました。ダム崩壊の危機に至る283.00mの水位にあと2cmに迫る282.98mまで、水位が上がってしまったのです。緊急放流よりもっと危険な事態におちいったのです。
こんな事態にまで落ち込んでしまった言い訳を、県は「人吉の水位のピークが過ぎるのを待って放流をしました。それまで目いっぱいダムに貯め込んでいました」と説明しました。
こんな予測など神様にもできません。19日になって、気象庁にも予測できなかった球磨川源流に突然猛烈な豪雨が発生したことが要因であり、この豪雨に対応できなくなり、流域住民の命を危機にさらしたのです。いまや、ダムそのものが危険な建造物になってしまったのです。
この市房ダムが行った緊急の大放流は、2つの災害を引き起こしました。
その1つが緊急の放流が破壊力の強い津波のような洪水を作り出し、ダム直下に激甚な被害をもたらしたことです。コンクリート建造物を壊したり、莫大な量の土石を移動させました。
もう1つは、ダムによって貯め込まれたヘドロが濁水になり、2か月以上も流れ続け、球磨川の生態を破壊し続けました。「ダムは百害あって一利なし」という、流域の方たちが口にされる言葉の正しさが実証されました。
球磨川と川辺川の合流点は、球磨盆地から人吉盆地へ流れ込んでいく狭窄部の手前に位置しており、広大な氾濫原を形成している所です。見方を変えれば、非常にダム化しやすい所でもあるのです。
2022年7月4日の早朝、市街地の入り口の高い所に架けられている曙橋の上から球磨川の様子を見ていました。合流点の方から広大な水田も飲み込んで流れ下ってきた猛烈な洪水は、そのまま市街地へ流れ込み、市街地も球磨川の一部になってしまいました。
急いで、合流点に駆け付けてみると、合流点周辺は大氾濫で広大な湖と化していました。氾濫した水は猛烈な勢いで球磨川へ流れ込んでいました。合流点より上流を流れる川辺川や球磨川の洪水の様子も見に行きましたが、合流点周辺の大氾濫に比べ、予想以上に流量が少ないのに驚きました。
後日、合流点に何が起きていたのかを知るため、現場の検証と聞き取り調査を行いました。くま川鉄道の第四橋梁に莫大な量の流木が詰まり、合流点周辺に大氾濫を引き起こしたことが判明してきました。そして大きな音と共に第四橋梁が崩壊し、流域に氾濫していた水が猛烈な勢いで球磨川へ流れ込んでいったことも判明しました。
このような事実があるにもかかわらず、国交省はいち早く川辺川ダム建設に必要な人吉地点で7000㎥/sに「氾濫戻し」を加えて7600㎥/sの洪水が流れたとしました。
さらに、これに合わせるように川辺川の柳瀬地点の洪水も川辺川ダムが必要とする3400㎥/sが流れたとしました。国交省の関心は川辺川ダム建設だけであって温暖化による豪雨災害の解明などには全く関心がないことは国交省との話し合いも含めて知ることができました。
合流点で発生した大氾濫と第四橋梁の崩壊で大洪水が発生した事実を認めると、国・県が強引に推し進めている川辺川ダムを柱にした河川整備計画は、泡となって消えてしまいます。
手渡す会では、国・県が熱心に進めている流域治水の理念を尊重して、合流点で起きたことの共同検証を幾度となく申し込みましたが、国も県も一切拒否し続けています。
国・県が行ったと称している検証は、すべて、川辺川ダム建設に必要な事象づくりを行っただけにすぎません。
動画でわかりやすく解説しています
2020年7月球磨川豪雨 不都合な真実①
人吉市には忘れ去られてしまった水害の歴史があります。昭和19年の水害です。
この時、球磨川には大きな洪水も発生していなかったのに、山田川と万江川で甚大な土砂災害と水害が発生しました。
球磨川流域の雨の降り方を心得ている人には理解できる災害ですが、「川辺川ダムがあれば命は救える」と主張する人たちには理解できない話です。
笑えない笑い話があります。2020年7月4日のことです。まじめな国交省の職員の方が球磨川の増水の様子を一生懸命に観察していました。ある時刻に後ろを振り向くと国交省の事務所に山田川からの氾濫水が押し寄せ、戻ることもできず、堤防を走って避難されたそうです。国交省の高級車も流されてしまったそうです。この方の行動こそがダムでは命は救えないことを教えてくれています。
ダム治水の信奉者である国交省は、川辺川ダムをつくれば山田川や万江川の氾濫は防げるとまで言明しています。本流は支流の集まりです。支流は本流の付属物ではありません。
山田川の氾濫は、山田川の流域に降った集中豪雨が主要な要因ですが、これに加えて、市街地より上流では川の拡幅も含め連続堤防を築き、洪水が溢れないように河川工事をしたことがもう一つの大きな要因です。2020年7月球磨川豪雨では、上流域に降った豪雨は、溢れることなく激しい流れで市街地に流れ込んでいきました。激しい流れであったことは、人吉市鶴田町の山田川の護岸が大きく破壊されたことで知ることができます。この激しい流れの洪水は、川幅が急に狭くなる市街地に入ると、上流部から順次に溢れ、南泉田町や紺屋町での大きな氾濫を引き起こしました。
いま市街地を守る上で一番大切な対策は、市街地を流れる山田川の川幅を拡げることです。道路を拡張したり公園を作ったりすることではありません。川は大きなゆとりを必要としている自然です。自然に逆らうことをすれば、たちまち暴れ川になります。
線路より上流の山田川は、昭和の中頃に連続堤防を中心にした河川整備が大々的に行われた。
この時、市街地を流れる山田川の川幅は上流側より5~6割程度になった。ここは大きく曲がった川になっているため流れに大きなゆとりをもたせる必要があるところだ。川の流れを無視した河川整備を行ったことになる。これに加えて川の流れを悪くする橋も増やした。河川整備で最も危険な山田川に変えてしまった。
2020年7月4日、山田川流域にも猛烈な集中豪雨が降り、いままで起きたことのない大水が発生し、市街地へ流れ込んできた。
洪水は泉田橋下流からあふれ出し、下流側にどんどん広がっていった。この氾濫は河川整備によってつくり変えられた山田川が引き起こしたものであり、バックウォーター現象で起きたものではない。
必要なことは、山田川の川幅を拡げ、流れにゆとりを取り戻すことである。部分的な嵩上げは水害を拡大するだけである。同時に、右岸側に大きく偏って流れる球磨川の流れを、中州を挟んで左右バランスよく流れる川に戻すことである。
豪雨災害の実態を解明するため、手渡す会では、多くの方の協力のもと、多数の映像の分析に取り組むことができました。
この分析を通して、水は非常に優れた地形学者であるということが解りました。水は私たちの目では判断できないわずかな高低差も見つけ、高い方から低い方へ流れていきます。どこへ流れていけばよいかわからなくなるとその場所で渦を巻きます。渦を巻きながら、流れていく低い場所を探します。
市街地に「御溝(おみぞ)」と呼ばれている用水路があります。相良藩の殿様がつくったので御溝と呼ばれるようになったそうで、万江川から新田開発のために水を引き込み、市内に網の目のように張り巡らされた用水路です。
現在は、市街地に入ると暗渠も多く、乱立する建造物の中を流れているので普段の暮らしの中で意識することはありません。目にすることはあっても小さい流れでしかない用水路のため、命が奪われることになるとは想像すらできません。
また、川が現在の姿になる以前の、旧河道と呼ばれる地形もあります。旧河道となると、その地形を意識することすら不可能です。国土地理院の治水地形分類図という地図では図解されており、それを手に現地を歩くと、それとなくわかる所もあれば、いろいろな開発が進み、現地に行っても判断が不可能なところもあります。ところが、水はこんな地形でさえも読み取って流れを作ります。
氾濫水は、この御溝(用水路)や旧河道に集水して行き、急激な増水と激しい流れをつくりだしました。そして偶然にこのような場所にいた人が命を奪われることになりました。命を守るためのハザードマップには、このようなきめ細かい地形の解説も必要なのです。
●印は、2020年7月4日球磨川豪雨災害での人吉市内の犠牲者が亡くなった場所を示す
水田のために開発された御溝には大水対策も仕組まれていた。この御溝は都市にはマイナス効果。
中流域の山地は、梅雨前線がもたらす一番の豪雨地帯です。地質的には秩父帯と四万十帯に属しており、褶曲も激しくたくさんの断層も存在し、山地を歩くと岩がぐじゃぐじゃに裂けた破砕帯に出会います。中流域の山地は崩れやすい地質です。
九州においては、すでに過去2回、温暖化に伴う豪雨による激甚な災害が発生しています。特に、2012年に発生した白川の豪雨災害では、手渡す会でも現地を度々訪問して調査しました。温暖化による豪雨が従来の雨とは異なるという調査結果を踏まえて、国や県に対し、川辺川ダムを中心にした治水対策ではなく、球磨川流域に「九州北部豪雨と同等の豪雨」が降ることを意識した対策が重要であることを提言していましたが、国はまったく無視しました。その結果、わたしたちが予測した通りに、今回の2020年球磨川豪雨災害が起き、甚大な被害が発生しました。
白川流域では、1時間に100mm前後の雨が4時間も降り続きました。この猛烈な恐ろしい豪雨が降ったのは、阿蘇山地を流れる黒川流域だけでした。黒川流域の至る所で山が崩れ、多くの痛ましい犠牲者が出ました。
温暖化に伴う豪雨災害は、豪雨が降ったその地域に、即、激甚な災害をもたらします。これこそ私たちが肝に銘じなければならない一番大切な事実です。
球磨川の中流域の山地は、球磨川流域一番の豪雨地帯であり、雨が降った山地から災害は始まり、莫大な量の土石と流木を伴った流れが支流の流域に災害をもたらし、球磨川本流へと移っていきました。この実態は、特に球磨村に発生した災害の記録がよく表しています。
蒲島知事は、流水型ダムを川辺川に建設すれば命は守れると言明しました。ありえない大ウソです。
2020年7月4日 球磨村の被害は球磨川の氾濫より早い時間帯に発生していた
丸裸にされた支流上流部の山林が、豪雨を破壊力の強い危険な洪水に転化させた
球磨村渡地区は、球磨川が人吉盆地から中流域に流れ込んでいく入り口に位置しています。右岸側には小川が流れ込み、左岸側には鵜川が流れ込んでいます。鵜川の源流は人吉市の田野町ですが、ここは人吉一番の豪雨地帯です。小川の源流に位置する大槻は、中流域の中でも特に雨がよく降る所です。
国交省もダム以外のさまざまな治水対策を施しました。導流堤という河口によく設置されるものまで持ち込んで洪水防御に努めました。球磨村渡の茶屋集落の多くの住民は、ピロティ建築で水害に対応しました。
とことん治水対策が施された分、渡の氾濫も複雑です。その1つが、肥薩線の線路が架かっている小川の両堤防の決壊があります。左岸側は小川より上流で発生した内水氾濫が、堤防があるために川となり、流れ下ってきて小川にぶつかったところで左岸側の堤防を決壊させました。これに対し、右岸側は小川の流れが導流堤にぶつかりその反作用で堤防を決壊させ、茶屋集落に大洪水を流し込むことになってしまいました。
ピロティ建築も2020年の球磨川流域豪雨災害にはまったく対応することができず、茶屋集落の住民は豪雨災害後、全員移転されました。 いま、日本中で温暖化に伴う豪雨災害が頻繁に発生しています。そしてその都度、治水の専門家や政治家は抜本的治水対策を強調します。でも、渡地区は逆です。ダムや堤防で洪水を川に閉じ込める治水対策を徹底的に検証することを求めています。
基本高水による治水は、温暖化に伴う猛烈な集中豪雨には対応できないことを暴露した渡地区の災害
渡地区には、私たちが学ばなければならない重要なことがあります。
全員が移転を余儀なくされるような激甚な災害に遭いながら、茶屋集落で命を落とす人が一人もおられなかったのはなぜかということです。
それは、川の氾濫から身を守る知恵をもった人たちがおられたからです。川を知ることが川のそばで暮らす人たちには欠かせない大切なことであることを教えてくれています。また、集落全体としての避難体制を主体的につくり上げておく事がどれほど大切なことであるかということも教えてくれています。このことに関しては、渡在住の市花由紀子さんが『流域治水がひらく川と人との関係~2020年球磨川水害の経験に学ぶ~』(嘉田由紀子編著、農文協)に詳しく紹介されています
ここでは要約して紹介します。
…川の近くに住む人が、雨が降ると川の様子を見に行くのは当たり前のことで、水量や流速、上流から流れてくるものなどを見ながら川がこれからどうなるのか分かるのです。…(中略)…私が一番びっくりしたことは、子どもや高齢者は先に高台に避難をしますが、荷物を上げる人が一部残ります。…(中略)…困っている時はお互いに助け合う、大水の時は地区全体で助けあってきたのが、この地区なのです。
(『流域治水がひらく川と人との関係~2020年球磨川水害の経験に学ぶ~』(嘉田由紀子編著、農文協)p71~ 私が球磨村にきて、びっくりしたこと)
命を守るための避難は何が一番大切なことか、示唆してくれています。
国や県は、小川の流域の山の様子を語ることもなく、小川の氾濫はバックウォーターで起きたと説明。「川辺川ダムがあれば本流の水位は下がり、バックウォーター現象は起きないため、氾濫は起きない」とダム建設を正当化
日本にいると、川はどのような自然が作り出しているのか見えてきません。日本の国土全域が年間1000mm以上の雨に恵まれており、国土全域を森林が覆っているからです。地球を見渡すと年間1000mm以下の雨しか降らない所の方が多くを占めています。ここには森林とは異なる植物の世界がつくりだされています。
雨が殆ど降らないところは砂漠になります。少し降る所は草原になります。年間900mmくらいの雨が降る所はサバンナと呼ばれる植物の世界がつくりだされます。こんな所には雨季になり、雨が降る時期だけ川が出現します。季節川と呼ばれています。
年間1000mm以上の雨が降り、森林を育んでいる大地が、一年中水が流れる川もつくりだしています。広大な砂漠の中を流れる世界一長いナイル川も源流域は森林に覆われています。雨と大地と森林と川は、一つの自然として存在しています。この中で森は川を育み、川は森を育む関係もつくりだされています。
川を守るということは大地を守り、森を守るということです。球磨川水系は大部分が山地の中を流れています。山地の至る所から湧水が流れ出ています。この豊かな湧水が球磨川を育んでいます。川の豊かさは、全流域が作り出しています。
豊かな森林を育む山地が豊かな球磨川を作り出している
大切な環境を破壊しているのは自然を無視した人間による開発
川を破壊し、災害を拡大している一番深刻な開発
野生の王国と呼ばれていた当時のケニア共和国において国土の2%だけが森林でした。現在は、森林破壊も進み、国土の1.2%です。
大型の野生動物が多く生息できる植物の世界はサバンナです。
国土のほんのわずかしか存在していない森林から流れ出す川が、ケニア全土の動物と人間を育んでいるのです。
森と川は、自然が作り出した、人間も含めた生態系の要です。森と川を守ることは自然が人間に課した責務なのです。
森と川の問題は地球規模で考えてみることが大切です。
流水型ダムのことを、ひと昔前は「穴あきダム」と呼んでいました。ダム堤の一番下に穴を開け、この穴から放流するダムだからです。「流水型」という言葉に変えた理由は、いかにも川の自然の流れを保全したように聞こえるからでしょう。
果たして、流水型ダムは自然の流れを保全することができるのでしょうか。このことについて、国交省自らが川辺川でやって見せてくれました。
1回目は2005年でした。9月に台風14号が発生した時、川辺川上流に設置された穴あきの朴木(ほおのき)ダムが濁流を流し続け、川辺川の生態系に甚大な被害をもたらしました。
ダムに穴が開けてあっても、川を塞き止める建造物を持ち込めばその背後に莫大な堆砂が進みます。台風で発生した洪水は、この堆積した土砂をかき混ぜ、濁水を作り出しました。洪水が収まっても、川の流れで濁水はどんどん作り出され穴から流れ続けました。穴あきであるために、このような現象が起きたのです。
その後、国交省は濁水を止めるために穴を塞ぎました。濁水は止まりましたが、ダムは土砂で満杯になり、ダムがない方が良かったことを証明しました。
小さな穴あき朴木ダム・樅木ダムが川辺川に1ヶ月以上濁水を流し続けた
2回目は2022年の台風14号です。朴木ダムより上流に位置している樅木ダムで見せてくれました。このダムも穴あきです。この穴から濁水を1ヶ月以上流し続けました。
小さなダムでも1ヶ月以上濁水を流し続けます。日本一巨大な流水型ダムともなれば、何か月間も濁水を流し続け、川辺川も球磨川も壊滅させてしまうことでしょう。
鹿児島県川内川に設置された鶴田ダムは、過去に2度も緊急放流を行い、下流域に激甚な被害をもたらし、その都度、ダムを再開発しました。2度目の再開発では、ダム堤の下部に穴を開け、流水型ダムの機能をもった多目的ダムにしました。
下からの放流は、強い圧力がかかるために非常に激しい流れになります。再開発された鶴田ダムは、破壊力の強い放流に持ち応えるだけの強固な建造物になっています。流水型川辺川ダムも強固な建造物になります。流水型であっても、この建造物が土砂堆積を進行させます。異常な濁水が流れ続くダムになってしまいます。
さらに輪をかけるのが、緊急放流時に発生する破壊力の強い流れに耐える下流域の堤防強化も同時に進められたことです。川内川では、緊急放流に対応する川づくりが実施されました。
鶴田ダムが教えてくれる巨大流水型川辺川ダムに関する二つの問題
激しい放流に耐える巨大コンクリート建造物が川辺川に持ち込まれる
津波のような洪水に耐えることが出来るコンクリートづけの川にされてしまう
かつてダムに代わる治水代替案として堤防強化が市民から提案された時代もありましたが、今では、堤防強化はダム建設に欠かせないものとなり、国は同時に進めるようになっています。巨大流水型ダムを持ち込むことで、川を根こそぎ破壊してしまう事態におちいってしまいます。
この姿は、阿蘇の山から熊本市に流れ込む白川水系においても見ることができます。現在建設工事が進められようとしている、川辺川ダム(高さ107.5m)よりはるかに小さい立野ダム(高さ87m)であっても、ダム建設と同時に堤防強化や堤防のかさ上げ、川幅の拡張、遊水池等あらゆる対策工事を同時進行させました。
流水型ダムは、川に大きな負荷を与える建造物でしかありません。
最近の緊急放流に関連して、流域住民に一番強く印象に強く残っているのは2020年7月4日の緊急放流騒ぎです。
国や県は、緊急放流はダムに入ってくる流量と同じ量だけを放流するだけであるといった安全宣伝しかしてこなかったのですが、流域住民が怒り心頭に発したのは、死に物狂いで逃げまどっている最中に“これから緊急放流を行うから安全な場所へ避難するように”という警告が出されたからです。一番危険な状態に陥っている時と緊急放流のタイミングが重なることは前もって分かっているのに、放流は安全であると言い続けてきた国や県に対して怒りが起きたのです。
緊急放流というものがどんな状況におちいっている時に行なわれるものかを、流域住民は具体的に実感しました。猛烈な集中豪雨でダムが緊急放流の事態におちいったその時、ダムの下流域はすでに大災害が発生してしまっている真っ只中なのです。これこそが緊急放流の重大な問題として取り上げられなければならないことです。
次に取り上げられなければならない問題は、短時間でダム機能が喪失してしまうということです。日本のダムは、発生した洪水のほんの一部を貯め込むことしか出来ないダムです。雨がまだ降らない前からダムの放流は行われます。多目的ダムのため、利水用に貯め込まれた水があるからです。雨が降り出し、洪水が発生するとダムへの貯留が始まります。でも、この時もダムからの放流はそのまま続行されています。それでも、数時間でダムは緊急放流の事態に陥ってしまいます。
問題点1 ダムの機能喪失が簡単に起きてしまう
予測出来ない猛烈な集中豪雨 短時間で緊急放流事態に陥る
2022年14号台風での市房ダム水位と緊急放流
予測出来ない猛烈な集中豪雨に出会い、ダム崩壊まであと2cmという危機の事態に陥ってしまった
緊急放流で一番怖いのは、洪水を津波のような破壊力の強い流れに変えることです。2018年には四国の肱川(ひじかわ)に設置されている野村ダムが緊急放流を行い、ダム直下の西予市野村地区に津波のような洪水が押し寄せ、多くの人命を奪いました。
問題点2 緊急放流がつくりだす破壊力の強い流れ
温暖化によって発生するようになった猛烈な集中豪雨に対し、ダム依存は非常に危険です。ところが、国や県はこの現実に起きているこの事実を隠し、突如、「逃げ遅れゼロ」を流域治水の主要な課題にすり替えて住民に押し付けています。
川辺川ダムが作られ、緊急放流の事態になれば、ダム直下に位置する相良村は大災害に直面します。緊急放流で多くの命を奪った野村ダムは、川辺川ダムに比べたら小さなダムです。
国交大臣は、川辺川ダムがなければ120人の命が奪われたと国会で答弁されたそうですが、本当は、「ダムを作って緊急放流を行っても120人くらいの相良村民が亡くなる程度のことです」と答弁すべきだったのではないでしょうか。
問題点3 ダム直下に激甚な被害
2020年7月4日に球磨川流域で豪雨災害が発生しました。その翌日にはテレビで川辺川ダムの宣伝が始まりました。どのような洪水がどのように発生し、どのような氾濫がどのようにして起きたのか、そしてどのような理由で亡くなられたかに関する事実をまったく知らない専門家が登場して、川辺川ダムがあればよかったと言明しました。
国や県は、球磨川流域に大災害が起きるのを待ち続けていたかのように川辺川ダムの大宣伝を開始しました。県は、流水型川辺川ダムを作れば清流も命も守れますという大きなチラシを新聞折り込みで各家庭に配布しました。この県の動きを利用して、国は川辺川ダムを建設するための手続きをどんどん進めました。国交大臣は国会の場において、もし川辺川ダムがなければ120人が亡くなっていたという、大うそのつくり話を堂々としました。
住民の命や川を守ることは蚊帳の外に放り出し、大きな利権が絡む川辺川ダム建設を推し進めることを目的化させた河川事業の背後には、何があるのでしょうか。
河川法と河川法施行令を並べて読むとよく分かります。日本の川に関する法律は、川にダムを作って洪水を川に閉じ込めることを一番大事にしたものになっているのです。
「ダムを作って川に洪水を閉じ込めれば、洪水による災害は防御できる」と法律で決めつけてしまっているのです。ところが、実際に多発している温暖化に伴う猛烈な集中豪雨災害を分析すると、法律とはまったく逆の現象が起きています。ダムを作って洪水を川に閉じ込める、基本高水に基づいた治水(この中に、現在国が進める「流域治水」も含まれる)では対応できないばかりか、災害を激甚化させてしまっている事例も見られるようになりました。
ドイツの川の法律は「川は生態系の重要な構成要素である」ということを基本理念に掲げて、川の保全を大前提にしたものになっています。
■基本高水(きほんたかみず)とは
「洪水防御に関する計画の基本となる洪水のこと」と定義されています。
明治につくられた河川法では「計画高水」(高水とは洪水のことです)という概念が導入され、連続堤防を築き、河道に洪水をため込むだけの治水でした。昭和になり多目的ダムが導入されると、ダムにため込む洪水も出てきました。現在は、計画高水にダムにため込む洪水の量を加えた洪水を基本高水とよんでいるのです。基本高水はあくまでもダムをつくるために必要な数値です。
基本高水治水では、猛烈な集中豪雨が引き起こす災害には対応できないことを災害自体が表面化させた
河川法
第1条(目的)
この法律は、河川について、洪水、津波、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、流水の正常な機能が維持され、及び河川環境の整備と保全がされるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、もつて公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする。
河川法施行令
第10条の2(河川整備基本方針に定める事項)
2 河川の整備の基本となるべき事項
イ 基本高水(洪水防御に関する計画の基本となる洪水をいう。)並びにその河道及び洪水調節ダムへの配分に関する事項
人吉市では、中神町大柿地区に遊水池づくりと集団移転が持ち込まれ、深刻な問題となっています。この大柿地区は、人吉市では球磨川の一番下流域に位置し地形的には台地であり、ここに遊水池をつくる客観的な根拠はありません。
市は集団移転の理由として、大柿は非常に危険なところであるから移転された方がよいと説得して歩いているようですが、大柿よりもっと危険な氾濫原の中につくられた町には移転の話すらありません。誰がみても遊水池を作ることが最優先の課題であり、そのために災害を口実として移転させようとしているのです。
2020年7月4日、大柿地区を襲った大洪水はくまがわ鉄道の第4橋梁がダム化することによって発生した特殊な洪水です。この事実を踏まえると大柿地区に遊水池をつくったり、集団移転を強要したりする根拠は全くなくなります。
にもかかわらず、国・県・市が強制集団移転と遊水池づくりにこだわる理由はなぜでしょうか。
2020年7月4日以降、災害の実態を解明することもないまま、ダムだ!堤防強化だ!遊水池だ!田んぼ治水だ!やれる治水対策は何でもやります!と、住民のくらしを全く無視した治水ありきの話ばかりが飛び交っています。復興や防災という名の下に、開発事業を最優先させているからだと思います。
流域住民にとって一番大切なことは、みんなが初めて経験した温暖化に伴う豪雨災害の実態を解明し、なぜこの地域において激甚な災害が発生したのか、その事実を共有することです。これが民主主義の原則です。
住民が事実を共有する前に治水や復興が独走すると、住民の中に対立が起こり、地域分断が始まります。ここで浮かび上がってくるのは利権です。多くの時間を要しても災害の事実を共有することがすべての始まりです。
五木の人たちは、下流域のために苦渋の選択をさせられたと言います。下流域の多くの住民は、川辺川ダムはいらないと言います。では、川辺川ダムを欲しがっているのは、どこの誰なのでしょうか。
国・県・市が一体となって強引に推し進めている大柿地区の遊水池は、どこの誰のためなのでしょうか。
災害と治水のイタチごっこを待ち続けているのは、どこの誰なのでしょうか。
ある人たちの安全・安心を守るために、ある人たちの土地を奪い、暮らしを奪い歴史を奪い取る。これが現在国や県が進めている治水の本当の姿なのです。だから、治水は権力なしには存在しない技術です。
大柿地区に大洪水が流れ込んだのは、ダム化した第四橋梁が崩壊し大洪水を発生させたためである
氾濫原に堤防を建設したことが、台地の大柿地区に洪水を集中させることになった(地図出典:国土地理院)
それでも第四橋梁がダム化していなければ氾濫は起きていなかった
天狗橋地点 190m×10m×5m/s=9500㎥/s
紅取橋地点 220m×9m×5m/s=9900㎥/s
大柿に遊水池をつくる客観的根拠なし
人吉市の復興計画を見て驚くことがあります。市街地でどのような災害がどのような理由で発生したかに関する分析もなければ、住民の避難行動の実態調査もなく、住民が避難するための道路の一部を拡張することと公園を作ることを柱にした復興計画を、一方的に発表したことです。
避難行動で一番大切なことは、温暖化に伴って、雨の降り方や洪水の発生の仕方、氾濫がどのように変わったかを具体的に知ることです。
1時間に50mm降る雨は「滝のような雨」といわれ、1時間に80mmの雨は「息ができなくなる雨」と言われています。温暖化に伴う集中豪雨の場合は、このような雨が4時間も5時間も降り続くようになったのです。こんな雨が降る中を避難するのは困難です。夜ともなれば危険も伴います。いつ、どこに、どのように避難するか、雨の降り方に対応したものに変える必要性が生じています。
これに加えて、「それぞれが居住している所では、どのような災害が発生しやすいか」を知ることが必要です。氾濫水が急激に増水し、早い流れをつくる地形が随所にあるからです。
避難行動は主体的なものです。それだけに、それぞれが災害に遭わない知恵を身につける必要があります。この知恵を身につける情報を提供するのが行政の仕事です。
そのためには、行政はその地域で起きた災害の一つ一つを解析し、記録していく必要があります。沢山の事例の積み上げが知恵になるからです。残念ながら、現実はゼロ状態に留まっています。 いま行政は、住民の命を守るためにやらなければならない仕事を放棄し、開発業者のための復興計画づくりに税金を使いこんでいるようにしか見えません。命を守るために必要なことは、道を拡げたり公園を作ったりすることではないのです。
その1 避難行動と市街地の地形
手渡す会による2020年球磨川豪雨災害の際の住民の避難行動に関する聞き取り調査結果(部分)
赤丸は垂直避難、黄緑は避難所への避難を示す。旧市街地では2階などへの垂直避難が多く、新市街地では避難場所への移動が多かった。この傾向は市街地の高低差の地形を反映しており、理にかなったものである。
その2 基本高水治水に基づく街づくりが被害を作り出した
「ダムと川に洪水を閉じ込めれば災害は防止できる」という国の治水の考え方が住民の意識に強く浸透し、球磨川本流からの氾濫だけに意識が集中するようになっていたことが、多くの死者が出た背景に存在している
ダムで命は救えないため、猛烈な集中豪雨発生以前の早期避難が重要となってきた
2020年7月4日、球磨村渡地区では、午前7時30分にはJR肥薩線第二橋梁が崩壊し、8時23分には相良橋、8時30分には沖鶴橋が崩壊した。
球磨川と川辺川の合流点ではどうだったのか。午前7時前後に鉄橋が流木で塞がり、陣之内の水田や線路を越えて西村地区に氾濫が発生した。この時の陣之内の水田を目撃した人の証言によれば、「洪水は、球磨川ではなく水田をものすごい勢いで流れ下っていた」とのことだった。また、西村にお住まいの方は「これまで、線路を越えて球磨川からこちらへ浸水してくることは一度もなかった」と証言されている。
渡地点の球磨川には、7時過ぎには破壊力の強い激甚な洪水が一気に押し寄せ、川の中につくられた建造物を下から順次崩壊させていったのに対し、合流点では鉄橋のダム化が進行していた。両者とも盆地の集水域に位置していながら、大きな違いはなぜ起きたのか。球磨川流域における洪水による災害の起き方を知る上で重要な現象である。
両者に共通しているのは、集水域でありながら、連続堤防を完備し、徹底して洪水を川の中に閉じ込める対策が行われていることである。
大きな違いは、地形が作り出している川の流れの違いである。合流点では、球磨川も川辺川も川幅が末広がりになっているのに対し、合流点よりもっと多くの洪水が流れ込んでくる渡の球磨川は、それだけのゆとりがまったくない川になっていることである。にも関わらず、導流堤などを導入して洪水が一気に集中するような治水対策を施していた。これが渡の問題である。
なぜ、渡では早い時刻に鉄橋や橋が崩壊したのか
なぜ、渡では激甚な氾濫が起きたのか
なぜ、合流点ではダム化したあとに鉄橋は崩壊したのか
ダムと堤防で洪水を川に閉じ込めて洪水を防御すれば災害は防ぐことが出来るという河川法や、バックウォーター現象を持ち出してダムを正当化することは一切できない根本的な問題がある
では、合流点において、早い時点で短時間のうちに鉄橋がダム化したのはなぜか。どこから莫大な量の流木が一気に押し寄せてきたのだろうか。 この問題こそ、河川管理者である国が解明しなければならない責務なのである。地元の多くの住民はこの事実を知っている。利権を目一杯貯め込んだダム建設を目指す国と県は、この重要な事実をかき消すことに懸命である。利権が水の泡となって消えないために。
2020年7月4日 渡地区を流れる球磨川に設置された樋門と導流堤は何をしたか
導流堤を作っても、小川には莫大な土石が堆積
球磨川と川辺川の合流点
合流点で、赤丸がつけてあるところは江子という地名がついている。一番早く氾濫する球磨川にとって重要なところである。
ダムよりもこの土地を国交省が買い上げて氾濫原のとして保全しなければならないのに、無視し続けた。ここが、いつの間にか木材置き場になり、莫大な量の丸太が積み上げられるようになり、流域の人たちは鉄橋のダム化を心配していた。
川辺川は急峻な谷間を流れる川です。V字谷渓谷と呼ばれる美しい景観が形成されている川です。この美しい景観を“ダム屋”が見ると、まったく違った姿に変わります。巨大コンクリート建造物であるダムが谷間に入り込んだ姿です。
これがダムありきの始まりです。巨大ダムの設計からダムづくりは始まります。そのダムが必要とする洪水の流量が算出され、この洪水をつくりだす雨量が算出されます。そして、これを正当づける理由が必要となります。
その一例が、球磨川水系河川整備基本方針の見直しです。水害後に見直しを行った理由について、国は気候変動に対応するためとしながら、実際には2020年7月4日に発生した温暖化に伴う豪雨災害は蚊帳の外に放り出し、温暖化の影響がまだ発生していなかった昭和47年の雨や洪水のデータを持ち出して策定しました。「川辺川ダムが必要」とするための数値合わせを行っただけのものでしかなかったことが、何よりの証拠です。
日本一大きい流水型ダムを作るためには、川辺川で想定外の大きな洪水が起きていたことにする必要があります。国交省は、2020年7月4日に、相良村柳瀬で3400㎥/sの大きな洪水が発生したと発表しましたが、川辺川と共に暮らしている住民から直ちにクレームがつきました。あの日、川辺川流域ではそれほどの大水は発生していなかったことを見ているからです。 この問題を考える上で、私たちがまず知っておかなければいけない知識は、川辺川とはどんな川かということです。山間を流れるごく普通の小さな川です。巨大なダムを必要とするような、大きな洪水は流れない川です。その上、人吉市や球磨村で甚大な災害を起こす梅雨前線に伴う集中豪雨は、川辺川の上流域では降ることもなく、ダムが登場する必然性はどこにもない川です。
川辺川は球磨川の支流の一つ
急峻な山の谷間を流れる川
治水安全度は1/80でも、ダムの大きさは1/200の仲間入り
この矛盾が利水裁判を引き起こした。水が有り余る大きなダムを作り、ダムの水を必要としない農家にただの水だからと強引に押し付けたことから川辺川利水裁判は始まった。
この報告書を書き上げることができましたのは、2020年7月4日以降、手渡す会の多くの会員の方たちによる休日返上、正月返上の聞き取り調査、現場に出かけての検証、映像分析、問題点が見つかる度に集まっての議論等に取り組んでまとめ上げた膨大なデータがあるからです。また、毎週月曜日に実施している例会で積み上げてきた議論の成果もあります。皆さんが被災し、復旧に取り掛かりながらの取り組みであり、苦労も並大抵のものではありませんでした。
手渡す会は、2001年から2004年にかけて開催された住民討論集会と森林保水力に関する共同検証をきっかけに、大雨が降る度に川や山に出かけてどんなことが起きているかに関する調査を行い、これと併せて川や山に持ち込まれた治水・治山対策の検証も行ってきました。現場で発生している出来事を知れば知るほど、河川工学の世界にまで踏み込んだ議論も行うようになりました。このような取り組みが、2020年に発生した温暖化に伴う球磨川流域豪雨災害の実態を調査する上で、とても大きな力になってくれました。
私たちはこの調査の結果を踏まえ、国と県に共同検証を行うことを申し入れています。理由は、国・県が学者も動員して行った検証は、実際に発生した豪雨災害の検証ではなく、川辺川ダム建設に必要な事象づくりをしただけに過ぎないことが解ったからです。このやり方は、災害を利用した流域開発に過ぎず、球磨川と球磨川を育む流域の自然を根こそぎ破壊してしまう開発を推し進めるだけのものでしかありません。
私たちは、温暖化に伴う豪雨災害の実態を踏まえた上での、最も望ましい防災対策を望んでいます。一人でも多くの住民の方がこの立場で議論をして下さることを願い、調査結果の概要を報告させていただきました。
報告書作成者 黒田 弘行
草原の中を流れる川がつくり上げた
リバーフォレスト
球磨川流域における温暖化に伴う豪雨災害に関する調査報告
2023年6月12日 第2版発行
企 画:清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
〒868-0037熊本県人吉市南泉田町25くま川ハウス
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編 著:黒田 弘行
会員募集
手渡す会では会員を募集しています(年会費1,000円)。ぜひ清流球磨川・川辺川とともに生きる地域の暮らしを守る活動を支える一人となっていただけませんか。カンパも歓迎です。
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手渡す会では、毎週月曜午後7時から、くま川ハウス(人吉市南泉田町25)において定例会を開催しています。どなたでもご参加いただけます(オンライン可)。どうぞお気軽にご参加下さい。