熊本県人吉・球磨の市民グループ:通称「手渡す会」

人吉市のファクトチェック、恣意的では?

本年もどうぞよろしくお願いします(遅ればせながらですが…)。
この年末は、「仕組み」も環境アセスも、球磨川豪雨災害の実態解明を深めず、流域住民の多様な声に耳を傾けず、流域のあらゆる関係者の協働はポーズであり、あくまで事業の進捗を進めることが本意であることを国・県は露呈し続けていました。
こうした住民不在の手続き(=事業者の主張に合う意見のみ拾いかじり)を、人吉市も踏襲している?と思う事件が起きています。
ことの発端は、中心市街地地区 座談会(9/27)の議事録に、実際とは異なる状況が記され、座談会メンバーの地区住民に配られた(10/20)ことにありました。
人吉の公衆浴場・新温泉をめぐり、座談会の議事録が市長名で地区住民に配布されました(写真①はその一部)。議事録には「保存会は「残せ」と唱えているが、地権者本人は「残さなくてもよい」と答えている」と明記されています。
しかし、写真にも赤字で書かれている通り、保存会は存在せず、地権者は残さなくてもよいなどと思っても発言してもいませんでした。実際には、有形登録文化財に向け相談を人吉市と1年にわたって続けていたのです。
この議事録が配られ、地権者ご本人(Nさん)はびっくりして人吉市に問い合わせたそうです。発言をしたのは誰で、こうした記載がなされた根拠は何か、説明を求めました。
ただ、人吉市はその説明をすることはなく、12月初旬に謝罪文案を持参しました。それでもNさんは、記載の経緯と根拠となった発言者との直接対話とを、求め続けました。
12/16にようやく、人吉市は直接対話の機会を設けました。その際、発言者は「記載されたような内容は発言していない」と言いました。こうしたやり取りを受け、Nさんは人吉市に対し12/26に、議事録は発言の捏造ではないのか、抗議及び真相究明を求める申入れを行いました。地元紙・人吉新聞は12/28付け紙面でこの件について報じています(写真②)。
申入れを受け、人吉市は焦ったのか、ようやく根拠を探し始めたようです。
1/11、根拠となる発言の音声データが見つかった、と提示。発言者もNさんと話をし、記憶違いと発言していたこととを謝罪したそうです。
人吉市はこれをもって「証拠を示したので、捏造ではないことは理解していただけますね」と繰り返しました。記者発表もしたようで、1/14付けの人吉新聞に人吉市の主張が掲載されています(写真③)。
ただ、Nさんは人吉市のこうした対応について、納得をしてはおられません。
実は、市による捏造が疑われても致し方ない状況がこの間、復興まちづくりをめぐり人吉市によって行われてきた、といっても過言ではないためです。
昨年6月に発表された区画整理事業は、その最たるものです。
甚大な被害を受けた中心商店街は「被災市街地復興推進地域」とされ、復興を名目とした都市計画を立てるため2年間建築制限がかけられました。その間、市は地区別懇談会を実施し、地元の意見を吸い上げる、としてきました。
2022年7月に大半のエリアで建築制限は解かれましたが、紺屋町の1.2haのみ、昨6月に決まった新たな区画整理事業の対象として、建築制限が延長されています(スライド①8/20説明会資料より)。
この区画整理事業をめぐっては、説明会当初から疑問や不満が噴出していました。
https://www.facebook.com/…/pfbid0Bpw6aRMom5ZepMLApPEX7p…
地区別懇談会では、大きな道路を通してそれぞれの土地を減らし地区を分断させうる区画整理事業につながる要望は、出ていませんでした。
山田川の改修もこの1.2haの区画整理事業とセットで進められていますが、山田川の発災メカニズムを踏まえた対策足りえておらず、手渡す会も疑問を投げかけてきました(詳細はまた改めて記します)。
ただ、市が1.2haの地権者に対する個別訪問を行なったのち、地権者の大半が容認の姿勢を見せるようになったそうです。これまでの個別訪問で、十分な情報がないままに賛否を問われたり、説明の仕方が異なっていたりというケースがあったので、個別訪問時の説明に関する情報開示請求も、現在行っています。
Nさんは、建築制限の延長にくわえ、移転と嵩上げを余儀なくされる区画整理事業案に、異議を唱え続けてきました。それに対し、県から市に出向しているその担当者は、Nさんの発言を最後まで聞かなかったり質問すべてに応えようとしなかったり、新温泉が浸水した写真を資料として「窪地、低地」と都合よく解釈して事業の正当化に利用したり(=実際には出町橋の架け替えに伴い橋に近い部分が嵩上げされただけで紺屋町と比すればほぼ平地)と、不誠実と受け止められる姿勢をとっていたそうです。
こうした一連の経緯を踏まえると、市はやはり、事業者にとって都合のよい地権者の発言のみを切り取っていたのではないか、との疑念を払拭できません。
Nさんは、市(文化課)と1年近くにわたって有形登録文化財に向けた準備をしてきました。Nさんを市の復興建設部と文化課と一緒に訪ね、同席して話をしたこともありました。
にもかかわらず、第三者の「本人は残さなくていいと言っている」という発言について、ファクトに基づいているのかどうか市が一切考慮しなかった、というのは、無理があるように思います。
この事件からは、球磨川豪雨災害後の行政は国・県・市に至るまで、被災者や流域住民の多様な声を無視して都合の良い声だけピックアップし、協働ははなから頭になく総動員で進める姿勢を貫徹している、そんな様子が見て取れます。